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	<title>dance+ &#187; interview</title>
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	<description>おどり、足りてますか？ 不足しがちな現代人へ、ダンス注入マガジン。</description>
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		<title>山下残×濱哲史『庭みたいなもの』をめぐって</title>
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		<pubDate>Wed, 07 Sep 2011 05:39:36 +0000</pubDate>
		<dc:creator>kogo</dc:creator>
				<category><![CDATA[interview]]></category>
		<category><![CDATA[山下残]]></category>

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		<description><![CDATA[山下残の新作は、アイホール・STスポット・山口情報芸術センターの３館共同プロデュース。舞台美術のカミイケタクヤの拠点である高松で劇場空間をシミュレーションし、それを各地へ運ぶというコンセプトのもと、伊丹—横]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>
<p style="text-align: right;"><span style="font-size: x-small;"> 協力：アイホール</span></p>
<br />
<p>山下残の新作は、アイホール・STスポット・山口情報芸術センターの３館共同プロデュース。舞台美術のカミイケタクヤの拠点である高松で劇場空間をシミュレーションし、それを各地へ運ぶというコンセプトのもと、伊丹—横浜—山口—高松の４都市を移動しながら創作が行われてきた。9月9日〜11日のアイホールでの国内初演に先駆け、YCAM InterLabとの共同開発を担う、プログラマーの濱哲史とのダイアローグをお届けします。<br />
<br />
<br />
残：今回、<a href=" http://www.ycam.jp/index.html " target="_blank">山口情報芸術センター</a>（以下YCAM）で公演することは決まっていて、共同制作についてはどうするかという時に、僕の言葉を使った作品に興味を持っているプログラマーがラボにいると耳にした。それが濱くんで、創作に関わってもらうことになったんだけど、どういう部分で興味をもってくれたのか気になっていました。僕にとってYCAMは、先鋭的な実験をたくさんしていて魅力的なスペースだから、公演はしたいと昔から思っていた。ただ、自分の作品はローテクな見せ方をするものが多いということもあって、メディアとかテクノロジーを使って創作ということは想像していなかったんですよ。<br />
<br />
濱：僕は2009年からYCAMのInterLabというチームに所属していて、メディアアートの展覧会やパフォーマンスなどの制作の際に、割と特殊な技術を提供するのが主な仕事です。プロジェクトごとに全く違う課題があって、僕自身の専門は音響ではあるのですが、クリエイションの場合はプログラミングで関わる場合も多く、音響だけに限らず様々なメディア、たとえば映像を制御するソフトウェアを作ったり、それらを相互に関係づけたインタラクティブなシステムをつくったりしています。近年の話をすると、中谷芙二子さんと高谷史郎さんの『CLOUD FOREST』では、霧と音の出力とポール型のサウンドデバイスの回転の制御を、その時点の気候データも読み込んで同期させるといったシステムをプログラマの古舘健さんと制作しました。一番最近だと、平川典俊さんがミヒャエル・ローターさんと安藤洋子さんとのコラボレーションで作った作品『Beyond the sunbeam through trees―木漏れ日の向こうに』で、マルチプロジェクションの映像、マルチチャンネルスピーカの音響、18個のフルカラーLED照明のそれぞれを制御するプログラムと、それらが観客が操作するルームランナーの動作をトリガーにして同期再生されるといったシステムを作って、それらが関連する様をいかにインスタレーションとして見せてゆくかといったところ。演出家や振付家との仕事もいくつかあって、言葉を使った制作では、一度舞台作品のクリエイションに関わったときに、—それは没になったのですが— 50音を分けて録音した役者の声で、その場で打ち込んだテキストを読ませるという、ボーカロイドの人版みたいなソフトウェアを作って、感情が削れたような声を何人分も重ねて一斉に喋らせるといったことをやっていました。それはまた、学生の頃に自分の作品のために作ったソフトの延長のものでもありました。<br />
　残さんの作品は、『そこに書いている』に前後した言葉を用いた作品のいろんな版を含め、ほとんどDVDで見ていました。そして、見ていて一番強く感じたのは「これは生で見ないとわからないな」ということ。ここまで記録映像でわからない作品はないと。それは今、クリエイションをしていて一段と増して感じています。その場にいないとわからない「絶妙な間」で響いてくる感じ、そしてそういうものが作品の軸になっている。<br />
<br />
残：「記録できない」のは、僕にしてみれば弱みとも思っている部分。たとえば『そこに書いてある』は観客に本を配って、ページをめくりながら見てもらう作品ですが、濱さんが見た映像も舞台の上のことしか映っていなかったでしょう。その舞台の上とお客さんと本の間のことが記録できないと、後々残っていかないと思ったんですよね。だから今回は、一つにはできた作品の記録ということ、そしてプロセスをちゃんと記録したいという気持ちがありました。<br />
　例えば最近やったプロジェクトでは、どう記録したり、プロセスを残していっているんですか？　僕がYCAMで見た作品なんか、これこそ記録しにくいだろうと思ったんだけど。<br />
<br />
濱：記録は･･･残してはいるけれど、出してはいないといったものもすごく多いですね･･･いまだ模索中の部分です。</p>
<br />
<a href="http://www.danceplusmag.com/wp-content/uploads/2011/09/b865bdbfbfc11efb810e20f9ccac983a.jpg"><img src="http://www.danceplusmag.com/wp-content/uploads/2011/09/b865bdbfbfc11efb810e20f9ccac983a-607x455.jpg" alt="画像0827 009" title="画像0827 009" width="607" height="455" class="aligncenter size-large wp-image-8974" /></a><br />
<p>残：中谷さんの霧を用いた作品も、そこにいないとわからないですよね。僕は「メディアを使う」というと、それが記録に残るということにつながると考えていたのかも知れない。でも、テクノロジーやメディアを使うからこそ、記録しにくいものに興味がうつってゆくのかな。<br />
<br />
濱：それはありますね。プログラミングをする場合、根本的に記録メディアの固定性に対抗するみたいなところがある。プログラミングで生成されうるものをすべて記録しようとすると、半年以上システムを動かし続けないといけないみたいなことはよくあるし･･･そういうことはある程度意識します。毎回同じことは起こらない、ということだったり。その反面、「ここがいい！」というベストなタイミングや空間的なポジションといった「間」のようなものをジャストで伝える姿勢とは捉えられにくいのが弱みでもある。最近、あらかじめ作り込まれたシーンがプログラムによって動的に切り替えられたりするというような作品を見たのですが、そのシーンの繋ぎ目のところで「あ、間延びしているな」と感じることがありました。僕が関わった作品ではないですけど(笑)。シーンが作り込まれているのに対して、そのつなぎ目がものすごく弱く感じられて、どこを見せたいのかわかりにくいというか、「受け取ろう」という気持ちにならないと受け取れないというか･･･でも後ろでプログラム走ってるし仕方ないか、みたいな。もちろん鑑賞者が能動的でないといけないというのもわかるんだけれど･･･。<br />
<br />
残：観客の能動性に任せる部分が強すぎると、不満と言うこと？<br />
<br />
濱：その作品を見た時はそう思いました。特に時間のコントロールについては、「ここでこう！」というのは、圧倒的に作者側から来てほしいところ。<br />
<br />
残：僕には、メディアアート＝インタラクティブ＝観客の優位性みたいなイメージがあるんだけど、それは違うの？<br />
<br />
濱：インタラクティブの中にも時間軸はあって、体験していく上で受け手に感じさせることって、コントロールしやすくもあると思います。僕が先にあげた作品は観客のインタラクティブ性といっても、歩き回ることができるというくらいだったんだけど、そこをもうちょっと制限しているやり方のほうが、メディアアートのインタラクティブらしさというか･･･。<br />
<br />
残：その制限するときの主体は、どこに持ってゆくべきだと思う？　作者？　テクノロジー?　観客？<br />
<br />
濱：それは作者ですね。<br />
<br />
残：じゃあそもそもテクノロジーは必要じゃないんじゃないかっていう気がするんだけど。<br />
<br />
濱：作者も観客性は持っていますよね。テクノロジーの前では。作者は第一の観客だという風に作品を作っていっている人はわりといる気がします。例えば『庭みたいなもの』でも、プログラミングを使うと、作品の成り立ちのところで「こうもゆける、ああもゆける」という可能性が無数に出てくる。それこそ抱えきれないほどの結果が出力される。それを見て、その中から選んでいくという作業は、むしろ観客に近い。その選び取る、編集するという作業は、作者がするべきであって、そこでいかに大量の恣意性を突っ込めるかというのが大事かと思います。無限の可能性といったらあれだけど、テクノロジーの組み合わせで生み出される、一つの人生じゃ網羅し得ない無数の結果の中から選ぶのが。<br />
<br />
残：インターネット以前/以降の違いもあるのかな。僕らはインターネット以前から作品を作ってきたので、作者としてのスタイルができてからそういうものに触れてきたわけだ。だからテクノロジーが後からやってきた感覚がある。でもネット世代以降の濱くんたちは、情報の空間がすでにそこにあって、そこから何かを選んでゆく感覚なのかな。なんかおっさんぽい質問になるけど（笑）。<br />
<br />
濱：それはある。･･･いや、あるのかな？　インターネット以前に成立していたものが以降どうなったかという変遷は、僕は身にしみては体験していなくて･･･とはいえ、僕も最初からそういう環境にあったわけでなく、中・高生くらいから始めて、最初はものすごいしょぼいネット環境で苦労してましたけど（笑）。ただ、最初に圧倒されるというか、世の中にはいろんな人がいて既にいろんなことがやられてしまっているんだということは、最初からわかっていた状況だから、まず最初に一端醒めていた気がする。これだけ可能性がある中でどれを選んでゆこうかという、その部分に精力をつぎ込みやすい。例えば、これだけ色々ある、色々知っている、というもの中から「僕はこれをかっこいいと思う」、「いや僕はこれは嫌い･･･」っていう選択をあえて主張していくことが、私個人の主張に相違ないと、そんなことを前向きに思っている節がある、というような気もします。</p>
<br />
<a href="http://www.danceplusmag.com/wp-content/uploads/2011/09/38c14bafff7a4ccf93668ed3cb196c1e.jpg"><img src="http://www.danceplusmag.com/wp-content/uploads/2011/09/38c14bafff7a4ccf93668ed3cb196c1e-607x404.jpg" alt="RºcÊ^2@w¹«ð してもひとり』　" title="RºcÊ^2@w¹«ð してもひとり』　" width="607" height="404" class="aligncenter size-large wp-image-8978" /></a><br />
<p>残：僕の三部作（『そこに書いてある』、『透明人間』、『せきをしてもひとり』）では、言葉の並びが大事なんです。全部身体を通した言葉で、例えば空があったら、それを見上げる動きから次の言葉にゆく。その連なりはすべて、自分の身体感覚で成立している。そこを通しているから、ダンスとして提示できるんだし、それが面白いとも思っていました。ただ、三部作をつくり終わってわからなくなったのは、例えば「山下残」をネットで検索したときに、僕の情報のすぐ隣に「山下駅から徒歩三分」みたいな情報が出てくるでしょう。そういった言葉は身体を通したら出てき得ないわけで、最初はノイズと思って無視していたけど、だんだんと身体が無視できなくなったというか、つながりがある言葉だと思いだした。そこをどう作品に取り入れるかといったこともね。今回、濱くんと一緒に作ることになって、やっぱりつなげ方の回路が、過去のやり方と全く違う。以前は言葉を使ってダンスを記録するということが主眼で、自分にとってのコレオグラフだったんだけど、今回は言葉と身体と、あと言葉と身体を結びつけている具体的なモノが舞台上にあって、その三者の組み合わせパターンが何千項とあって、例えばA（流木）とB（せんたくばさみ）をつなげたらそのパターンが減るとか、そういうことを濱くんが出してきますよね。どこかで作家の決定をしなければならないんだけど、するとアルゴリズムの面白さをなくしてしまう。意図を決めるときに、「作者の意図が強すぎます」と言われたりすることもあって、そのあたりのせめぎあいが面白いところ。<br />
<br />
濱：検索すると求めてなかった答えが提示されるというのは、僕もぎりぎり面白いとは思うけど、今の人にはすでに、インターネットに慣れすぎて、ノイズ情報が出てきたとき、ちゃんと捨てていく能力や身体性があったりするのかも知れません。<br />
<br />
残：今の若い子は、ノイズを消す能力を持っているということ？<br />
<br />
濱：例えば検索ロボットと話して、ロボットはもちろん間違うんだけど、それをきれいな対話として成立させたり、正しい答えを引きだしたりといったことに長けているというか。<br />
<br />
残：そこでロボットが持ってくるものが正しいか正しくないかを判断できる人は、言葉とか身体を使って表現したりする時に、何を面白いと思い、何を作品として提示しようとしますかねえ。<br />
<br />
濱：それは僕もわからないです･･･。でも、僕もデータが破壊されて正常に再生されないようなこと、—ノイズ、グリッチなど—を面白いと思うけど、そこを極端に追求しようとしたのは、今よりももうちょっと前から、遅くとも2000年初めくらいからコンピューターを触り始めた人じゃないですかね。僕もそのような１人ですけど、ただ最近、どんどんコンピュータを触ってゆくうちに、グリッチやノイズって面白くないなって思ってきています。<br />
<br />
残：ブライアン・イーノの最新のアルバムの中に「グリッチ」って曲が入っているけど、そういうのは年寄りがやること（笑）？<br />
<br />
濱：いやいや。（笑）人間の手ではどれだけ時間をかけても到底できないものがコンピューターによっていとも簡単に大量に出てくるのは、本当に面白い部分。コンピューターはツールではなく現象だという･･･。でも、最近個人的には、ただ眺めることしかできないもの、対面しないものにはあまり面白さを感じなくなってきています。少し話を戻して、今の身体だとどうなのかという部分については、誰もが知っている正解と自分の持っている正しい論理が違ってこないというか、違いに着目するよりもむしろ同調させていくということに興味を持つのかもしれません。自分は他人と違う考えを持っている、ということの真逆で、他人と考え方を揃えていく、私が見ず知らずの多数の他者の中の１人としてとけ込む、共謀して言葉や身体の振る舞いを生み出していく、ということがあるかもしれない。</p>
<br />
<a href="http://www.danceplusmag.com/wp-content/uploads/2011/09/Zan28_network_small.jpg"><img src="http://www.danceplusmag.com/wp-content/uploads/2011/09/Zan28_network_small.jpg" alt="Zan28_network_small" title="Zan28_network_small" width="576" height="346" class="aligncenter size-full wp-image-8981" /></a><br />
<p>残：例えばYCAM で土方巽特集とかをするじゃないですか。ああいう特権的な身体言語と、特権的な身体から何を取り出そうとしているのか、と思うんですよね。今言われているグリッチとかノイズって、昔だとシュール・レアリスムにも似ていると思うんですよ。そのあたりがどういう方向に興味や視点がうつっているのか非常に興味がありますね。<br />
<br />
濱：今やっている作業はトライ＆エラーが多い。50個ぐらいの「シーケンス」とよばれる素材−つまりダンスピース−のデータ、言い方を変えればオブジェクトがあって、それらは幾つかのパラメータを持っていて、それを設定していくことで、自ずとオブジェクト同士が次々に連鎖していくといったプログラムを作りました。残さんがこれまでやってきた方法の中で、それらのピースを50個なら50個のカードを作って、目の前で並べてみるという作業があったと伺ったのですが、コンピューターやプログラムといったものが強いのは、そのカードに設定を打ち込んでやると、ある時間長の…公演全体をも予想できるかといったぐらいの長いコンビネーションが、ランダムではなく、ある整合性のとれたものとして、しかも幾つも出てくる。そうすると、カードAとカードBの連なり、FとNの連なりといった、そういった一つ一つのつながりを積み重ねていくのではなくて、プログラムが弾き出したA→F→G→I→O→N→R→T→U→Pの繋がりを一旦見てみよう、その次はR→T→U→P→O→A→F→Kの繋がりやってみよう、といった、長いトライができる。そうすると、一つ一つの繋がりを重ねて紡ぎ上げていくといった方法ではあり得なかったであろう、色色な、それこそうるさいノイズや間延びだったり、あるいは、まさかの「いい間」「いい感覚」みたいなものが現れてきたりします。そういった結果をある時にはNGにして、ある時にはあえて選びとって、また一つ一つのオブジェクトのパラメータを修正して、という作業を繰り返して、完成に近づけていきます。こういったやり方というのは、プログラムを用いる場合は多々あって、たとえば何らかのサウンドピースを作るときに、まず音を連ならせるプログラムを書いてその結果を1時間録音して、使うのはそのうちベストの1分。とか。ゼロから音を鳴らしてみよう、じゃなくて、既に出来上がったもの、プログラムによって提示されたものを観察してそこから良い部分を発見していこうというやり方。今回、そのやり方が落とし込めているというか、うまくいっているんじゃないかと思いつつ、残さんはどう思っているのかも気になる。<br />
<br />
残：確かにそういう作業の中で「おっ」ていう何かが出来上がる。ただ僕が今不安に思うのは、それを普遍的なものとして信じていいのかということ。それを劇場でやってみたところでどういう反応なんだろう？　いくつか選択肢があって作家として決めなければならない時に、ひとつ間違うと全部違う方向にいってしまう。昔なら自分の身体感覚で決めていたけど、今回は自分と違う身体感覚の人が隣にいて、違う論理を言ってくれる。それはいいことで面白いと思っているんだけど、劇場で観客に見せたときにどうかなという部分はね。そこは今回コンピューターを通すってことで、僕も慎重になっているのかも知れない。</p>
<br />
<img src="http://www.danceplusmag.com/wp-content/uploads/2011/09/Zan28_nemall2.jpg"><img src="http://www.danceplusmag.com/wp-content/uploads/2011/09/Zan28_working_small2-607x404.jpg" alt="Zan28_working_small" title="Zan28_working_small" width="607" height="404" class="aligncenter size-large wp-image-8984" /></a><br />
<p>濱：僕は、今回はプログラム以前に素材の力が強いと思っています。出てきたものをまとめて観させてもらったときに、段々と出演者の、言うなれば“人となり”のことをちゃんと認識し始めてしまった。たとえば、ある役者さんの声を一言聞いたら、それがどれだけシリアスな言葉でも、もはや笑いをこらえられなくなってしまったんです。いつのまにかそうなってしまう、出演者を妙に近くに感じてしまう、ただの親近感とは別だと思うのですが、そこに奇跡のようなものを感じていて。そういった奇跡の素材をどうつなげるかは、作業していて面白いところだけど、だからこそ不安というのを僕も感じている。<br />
　制作に入る前、今回どういう作品にするかという話をした時、残さんはノイズミュージックが気になる、それをやりたいという話をされていましたよね。で、実際素材を見せてもらったら、それはもう並べるだけで可能だと思った。ただ、ノイズミュージックといっても、残さんが好きなのは緻密な丁寧につくりこまれたノイズミュージックって言っていたので、そこが今一番気になっていること。今回の残さんの演出で、前の素材と次の素材で出てくる言葉を被らせるといった時に、「あ、また同じ言葉がやってきた」と不思議な感覚を抱いてしまう。こういう構成にめちゃくちゃ見事だと感動する一方で、これはノイズなのか、もしかして綺麗なメロディなんじゃないだろうかと気にしている。<br />
<br />
残：「ノイズ」ということで思っていたのは、物質感とか意味のない世界。僕は今まではそういうものを否定していて、肉体そのものより、そこに語るべき事をどんどん入れていった。それはノイズミュージック的なものとは相容れなくて、ある意味、ヒップホップのラップする感覚や詩の朗読なんかと似ているのかなと思っていたんです。でも今回の内容は、その辺に落ちてるモノを、言葉と身体で梱包するというふうに出演者には説明しているのですが、ただ単にモノについて語っているだけで、それをつなぎ合わせてもさらに重要な意味に発展するわけではなく、モノを媒介にすることで、逆に意味が抜け落ちていく、同時に意味が弱まる分つながりが強まっていくっていう作品なんですよね。一つ一つのそのものに意味はなくて、つながりがおきても更に意味がなく、ただただモノとモノや人と人とかのつながりのパイプだけが太くなっていき、公演が終わって静かになった瞬間がつんとくるような、そういう感覚。今僕に必要なのは、それをやりきることじゃないかと思っている。ただその途上で、—ちょうど今—なんかメロディつけなあかんかなとか、なってくる。別に&#8221;ノイズミュージック&#8221;を委託されてるわけじゃないから、別にメロディが入ってもいいんですけれど、それもプログラミングしてくれる人がいるからこそ考えられる部分がある。一人でやっていると、どんどんメロディで入れてしまうと思うんですよ。そこでサービス精神に行かず踏みとどまるために、濱くんがいるというか。（笑）<br />
<br />
濱：じゃ、「ちょっと歌謡曲っぽくなってきましたよ」とか言えばいいんですかね。（笑）<br />
<br />
残：作品にサービスを加えてゆくための人なら、あまり意味がない。作品をつくるためのストイックさをどこまでキープしてくれているかという感じの共同制作みたいな感じかなあ。</p>
<br />
<div id="attachment_8977" class="wp-caption aligncenter" style="width: 617px"><a href="http://www.danceplusmag.com/wp-content/uploads/2011/09/565e41499fe6cdcd3ab1b6248b79b251.jpg"><img src="http://www.danceplusmag.com/wp-content/uploads/2011/09/565e41499fe6cdcd3ab1b6248b79b251-607x404.jpg" alt="カミイケさんの美術の中でのパフォーマンス　写真提供：高松市美術館　 　" title="RºcÊ^1@@Ê^ñ 供：高松市美術館" width="607" height="404" class="size-large wp-image-8977" /></a><p class="wp-caption-text">カミイケさんの美術の中でのパフォーマンス　写真提供：高松市美術館　 　</p></div><br />
<p>濱：僕が今気になっているのは、この時代のこのタイミングに、なんでこういう方法論をとって作っていってるのかということ。今回は3つのステップを踏んで素材を生成していった—最初に人の前に物があって、人がその物について大勢の前で説明するという設定から出てきた言葉というか語りを、また別のもう一人が登場した状況で今度はその人だけに説明するように変容させてゆく。そして、最後にその二人が共同で、どちらか一人が先行するではなく、お互いに絶妙な間を取りながら相手の言葉を補いつつその物について語るという風に進めてゆきましたね。最終段階のエクササイズでは、相手の声やその場に流れる間とかタイミングを伺わないといけないから、さらっと喋ってしまうことができない。ようやく努力して声を出すと、それに合わせて体も100パーセント努力し始める。何かを語るのに、いままで持ってきたものを一旦横において、物の前、相手の前で裸にならざるを得ない、という状況になる。この方法は、僕も一度体験させてもらって、とにかく難しい。でもそういうプロセスを通して出来たものを見ていると、さっきもいいましたが、奇跡的な、7人の違ったそれぞれが異常なまでに伝わり、この人のここが好き、この人とは意気投合できるだろうという期待や願望みたいなものをも感じてしまう。まさか舞台を観ててそういう風な感覚を獲得してしまうとは想像していなかった･･･ それでやっぱり、こんなに人が元気のいい感じを見たり、生き生きした言葉を聞く機会って最近なかなか無かったなと思い出して、こういう言葉や声のボリュームが、今、この時代に、僕にとっては大事だったんだと強く感じました。残さんは一度、「（身体は）舞台の上で消えてゆくもの」と言っていたけど、見ていると僕にはそうは思えないんです。<br />
<br />
残：そこは僕はダンス業界のアウトサイダーですから。ダンスの人たちがパッションとか全面に押し出しているのを斜めから見て、言葉や道具や方法論といった相反するものをぶつけていって、その意味では身体をどんどん消去してゆくような作品づくりをしている。これまでのアイホール三部作でも、&#8221;ダンス&#8221;を期待してくる人には「こんなんダンスって言っていいの？」って言われてきた。でも基本的にダンスが嫌いじゃないし、人間も好き。だから方法論が先か、衝動が先かというところであれこれ考えるわけですが、濱くんが捉えてくれたように見られるのは、すごく嬉しいですね。今までと違う方向に来ているかなと思います。まあ、最悪なのは、僕みたいな傾向を持った振付家がプログラマーと一緒になって「人間なんて消滅させてやろう！」という方向に行くことだと思うので（笑）、この組み合わせで作業を重ねた果てに、人間性みたいなものが舞台上で際立つなら、成功じゃないかなと。そういうことをめざさなきゃならないなとは思っています。</p>
<br />
<br />
</p>
<blockquote><p>
<span style="font-size: x-small;"> <strong>山下残 </strong>（やました・ざん）<br />
1970年大阪府生まれ。90年代中頃より振付家・演出家として活動を始める。主な <br />
作品に、来場者に本を配り、ステージからのカウントに合わせて、観客がページ <br />
をめくりながら本と舞台を交互に観る「そこに書いてある」、ダンサーの動きを <br />
言葉にして声にする「透明人間」、スクリーンに映写される呼吸の記号と俳句の <br />
テキストを合わせて身体で見せる「せきをしてもひとり」、揺れる舞台装置の上 <br />
で踊る「船乗りたち」、動物が演劇をしているようにも見えるダンス作品「動物 <br />
の演劇」などがある。</span> </p></blockquote>
<p>
<br />
</p>
<blockquote><p>
<span style="font-size: x-small;"> <strong>濵 哲史</strong> (はま・さとし)<br />
6月、大阪生まれ。2007年 岐阜県立国際情報科学芸術アカデミー（IAMAS）卒業。2009年 多摩美術大学情報デザイン学科卒業。2009年より現在までYCAM InterLabに所属、インスタレーションやパフォーマンス作品のシステムデザイン、音響デザイン、プログラミングを手がける。個人として、生活録音を編集した音楽シリーズや、音と光を空間に構成したインスタレーション、音響ソフトウェア作品を制作。「複々製に進路をとれ」川崎市市民ミュージアム 2009年、「ヨコハマEIZONE2008」横浜赤れんが倉庫 2008年 などのグループ展に参加。2012年 バンド&#8221;Domoy&#8221;で、スクラッチ用のLPレコードをリリースする予定。</span> </p></blockquote>
<p>
<br />
<div id="attachment_8969" class="wp-caption aligncenter" style="width: 617px"><a href="http://www.danceplusmag.com/wp-content/uploads/2011/09/chirashi.png"><img src="http://www.danceplusmag.com/wp-content/uploads/2011/09/chirashi-607x430.png" alt="チラシ画提供：青木陵子　デザイン：かなもりゆうこ" title="chirashi" width="607" height="430" class="size-large wp-image-8969" /></a><p class="wp-caption-text">チラシ画提供：青木陵子　デザイン：かなもりゆうこ</p></div><br />
<br />
</p>
<blockquote><p>アイホールダンスコレクションvol.66山下残『庭みたいなもの』<br />
日時： 2011年9月 9日（金）7:30pm <br />
            10日（土）3:00pm／7:30pm<br />
            11日（日）3:00pm<br />
<span style="font-size: x-small;"> 9月8日（木）3:00pm  伊丹市民限定／プレビュー＆トークを開催。伊丹市民の方をご招待します。申込み等は、アイホールまで。</span><br />
会場： <a href="http://www.aihall.com/" target="_blank">伊丹アイホール</a><br />
振付・演出：山下残　<br />
出演：黒田政秀、小坂浩之、酒井和哉、末森英実子（おかっぱ企画）、立蔵葉子（青年団）、富松悠、増田美佳<br />
舞台美術：カミイケタクヤ　照明：三浦あさ子　音響：宮田充規　システムデザイン：浜哲史（YCAM InterLab）　舞台監督：浜村修司　チラシ画提供：青木陵子　宣伝美術：かなもりゆうこ<br />
共同開発：YCAM InterLab<br />
企画制作：アイホール［伊丹市立演劇ホール］、STスポット、山口情報芸術センター［YCAM］<br />
<hr />国内ツアー情報<br />
神奈川芸術劇場(主催：NPO法人STスポット横浜)<br />
■2011/09.22(thu)～25(sun)<br />
■お問い合わせ：ＳＴスポット tel.045-325-0411　 http://www.stspot.jp/<br />
<br />
山口情報芸術センター<br />
■2012/01/29(sun)<br />
■お問い合わせ：tel.083-901-2222　 http://www.ycam.jp/<br />
</p></blockquote>
<p>
</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>【暑い夏11】ダイアローグ　室伏鴻 × チョン・ヨンドゥ</title>
		<link>http://www.danceplusmag.com/c1/8788</link>
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		<pubDate>Sun, 31 Jul 2011 05:13:10 +0000</pubDate>
		<dc:creator>kogo</dc:creator>
				<category><![CDATA[interview]]></category>
		<category><![CDATA[暑い夏11]]></category>

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		<description><![CDATA[「暑い夏」ではリピーターの多い人気講師の室伏氏とチョン氏。生まれた国や世代は違えど、ワールドワイドに活動しているダンサーであるお二人に、対談をお願いしました。ちなみにチョン氏は、室伏氏のワークショップを]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>
<p style="text-align: right;"><span style="font-size: x-small;"> 通訳・翻訳・インタビュー編集：高山祥子・中村まや<br />
翻訳補佐：ケイトリン・クーカー<br />
通訳補助：ベ・スヒョン</span></p>
<br />
</p>
<blockquote><p>
<img src="http://www.danceplusmag.com/wp-content/uploads/2011/07/prof_murobushi.gif" alt="prof_murobushi" title="prof_murobushi" width="80" height="80" class="alignleft size-full wp-image-8790" />
<strong>室伏鴻　むろぶし・こう</strong>　（日本／東京）<br />
舞踏における身体のエッジを模索する稀有な存在として、熱い注目を集めている。&#8217;69年土方巽に師事、&#8217;72年「大駱駝艦」の旗揚げに参加。&#8217;78年パリで「最後の楽園―彼方の門」を公演し、舞踏が世界のBUTOHとして認知されるきっかけとなる。&#8217;00年から『Edge』シリーズで欧・南米を中心に意欲的に活動。&#8217;03年Ko&#038;Edge Co.を立ち上げ『美貌の青空』を発表、新しい舞踏を切り拓く作品として多くの批評家から絶賛を浴びる。 &#8216;06年ヴェネチア・ビエンナーレにて「quick silver」を上演。IMPULSE TANZ（ウィーン）やアンジェ国立振付センターなど指導者としても世界各地で活躍している。<br />
<hr /><br />
<img src="http://www.danceplusmag.com/wp-content/uploads/2011/07/prof_jung1.gif" alt="prof_jung" title="prof_jung" width="80" height="80" class="alignleft size-full wp-image-8794" />
<p><strong>JUNG YOUNG-DOO　チョン・ヨンドゥ</strong>　（韓国/ソウル）<br />
西洋的で高度なダンスメソッドと明確なコンセプトを併せ持つと同時に、東洋的に抑制された繊細な動きが彼の才能を裏付けている。Doo Dance Theater主宰。韓国新進気鋭の振付家である。韓国を拠点に世界各地で活躍する。&#8217;04年にはリトル・アジア・ネットワークでアジア各地を巡回。韓国でも多くの賞に輝く他、「横浜ダンスコレクション・ソロ＆デュオコンペティション」にて、「横浜文化財団大賞」ならびに「駐日フランス大使館特別賞」を受賞、フランス国立トゥルーズ振付センターにて研修する。「踊りにいくぜ！」（&#8217;08年）『Hiroshima-Happchon』（&#8217;10年　松田正隆構成・演出）など来日多数。</p>
</p></blockquote>
<p>
<br />
　「暑い夏」ではリピーターの多い人気講師の室伏氏とチョン氏。生まれた国や世代は違えど、ワールドワイドに活動しているダンサーであるお二人に、対談をお願いしました。ちなみにチョン氏は、室伏氏のワークショップをフランスで受けたことがあるそうですが、お互いに話すのは今回が初めて。さらに母国語の安定圏の外部で、ディスコミュニケーションやミスコミュニケーションもまた豊かと思える時間を紡ぎ出してくれました。この時間がどういうかたちだと伝わるだろう？　と、編集会議の末、日本語はダイジェスト版にとどめ、映像をフルで掲載することにしました。　<a href="http://www.danceplusmag.com/d1/8911">英語スクリプトはコチラ>>> </a><br />
　お話は、まずは日韓ということで、編集チームから出した&#8221;東アジア&#8221;というキーワードから始めてもらい、締めくくりにダンサーやダンスに関わる人たちにメッセージをいただきました。<br />
<br />
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: x-medium;"> 参照<br />
<a href=" http://www.log-osaka.jp/article/index.html?aid=315&#038;p=20" target="_blank">2008年の室伏鴻インタビュー</a><br />
<a href=" http://www.log-osaka.jp/article/index.html?aid=268&#038;p=5" target="_blank">2006年のチョン・ヨンドゥ アンケート</a></span></p>
<br />
<object width="425" height="349"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/-7os8Ayo0ZY?version=3&amp;hl=ja_JP&amp;rel=0"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" value="always"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/-7os8Ayo0ZY?version=3&amp;hl=ja_JP&amp;rel=0" type="application/x-shockwave-flash" width="425" height="349" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true"></embed></object><br />
<br />
<object width="425" height="349"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/iSV-sBg4r74?version=3&amp;hl=ja_JP&amp;rel=0"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" value="always"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/iSV-sBg4r74?version=3&amp;hl=ja_JP&amp;rel=0" type="application/x-shockwave-flash" width="425" height="349" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true"></embed></object><br />
<br />
<object width="425" height="349"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/Y2Lr1HlNJa8?version=3&amp;hl=ja_JP&amp;rel=0"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" value="always"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/Y2Lr1HlNJa8?version=3&amp;hl=ja_JP&amp;rel=0" type="application/x-shockwave-flash" width="425" height="349" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true"></embed></object><br />
<br />
</p>
<blockquote><p> 日 本 語 版 ダ イ ジ ェ ス ト </p></blockquote>
<p>
<br />
<strong>◆　東アジア？</strong><br />
<br />
<strong>室伏：</strong>私は土方巽という人に出会って、踊りをはじめた。そして、70年代からヨーロッパに行き、とても考え方が変化していったわけです。なので、私もこれまでに韓国、中国、インド、タイ、フィリピンなどアジア諸国は訪れているけれど、今、実際に何か起こっているのか状況はわかりません。東アジアっていう問題は、むしろチョンさんなんかの方がよく知っているのではないかと思います。<br />
<br />
<strong>チョン：</strong>私もそれほど知っているわけではありません。もちろん、韓国やアジアの文化に対しての理解はいくらかありますよ。ただ、作品を作る上でアジアの人で韓国人であるということは、あまり考えないようにしています。それは、自分が、韓国人であってアジア人であると思って作品を創ると、そこにこだわってしまうからです。しかし、自分は韓国出身で、アジア人として、どんな影響を伝えることになるか、ということについては意識して作品を創っています。<br />
　不思議なのは、ヨーロッパなどに行くと、西洋の方がむしろ東洋的なことをしていたりします。同じ様に、私は、韓国という伝統的なところより、西洋の影響を受けることが多いです。<br />
　私はこどもの時、アジア人と西洋人の違いは何か、ということを考えていました。でも、今は逆に、何が似ているかということを考えています。<br />
<br />
<strong>◆　自分のダンスとは？ 〜動けなくなった時〜</strong><br />
<br />
<strong>チョン：</strong>自分が何者か、ということに、私は悩んできました。自分を知らないと踊りが生まれないと思うので、自分を知ろうと、探そうとしています。<br />
　10年前に、自分が何者かが解らなくて、全く踊れなくなったことがありました。今思えば、学校で西洋文化などを学び、頭が混乱して、思考停止してしまったのではないかと思います。私は自分にどういう影響が西洋文化から与えられたかを考えました。<br />
　踊りながら考えるんです。それで、踊るのが難しくなってしまった。この動きはどこから来たのか？　この踊りは私の踊りか？　これは西洋文化の踊りかもしれない・・・。これは、どこかで観た踊りかもしれない・・・。一体、私の踊りは何なんだ？　と、思って、止まってしまいました。<br />
<div id="attachment_8809" class="wp-caption aligncenter" style="width: 617px"><a href="http://www.danceplusmag.com/wp-content/uploads/2011/07/fa491937c4bf27dedf3bea31ac92c0c91.jpg"><img src="http://www.danceplusmag.com/wp-content/uploads/2011/07/fa491937c4bf27dedf3bea31ac92c0c91-607x404.jpg" alt="撮影：庵雅美" title="_MG_1602 のコピー" width="607" height="404" class="size-large wp-image-8809" /></a><p class="wp-caption-text">撮影：庵雅美</p></div><p>
<strong>室伏：</strong>止まったままの踊りはしなかったの？<br />
「突っ立ったままの死体」という言葉を知っていますか？　舞踏が持っている、問題性っていうのかな、主題、テーマですかね。それは、今チョンさんが喋った状況とすごく似ています。<br />
　日本には、伝統的、日本的な身体の動かし方があり、且つ西洋的な影響があった。そして、その中で日本は戦争がありました。韓国にも悪いことをしたし、中国にもやったでしょ？　そういうものの後に、どっちにも行けなくなっちゃった身体だと思うんですけど。<br />
　突っ立ったままの死体っていうのは、伝統の方にもいけないし、その、西洋からの影響の方にもいけない。けれど日本は負けちゃったから、二本足で立とうとしても立てない。それを死体と言ったんです。だけど、突っ立ったままの死体っていうのは、踊らないでしょ？　でも、その死体で踊るぞといったのが土方さんだったの。<br />
　土方巽が舞踏としたのは、「突っ立っている死体」なんだよね、それはあなたの問題の状況ととてもよく似ている。伝統とヨーロッパからの影響、それはとても興味深いね。<br />
<br />
<strong>◆　西洋の影響</strong><br />
<br />
<strong>室伏：</strong>私は西洋の影響がなぜ韓国や日本にこれほどまでに強く出てくるのか、わからない。これはとてもとても政治的なことだと思っている。いつも日本を政治的な側面から、文化的な側面から考え続けている。文化は常に政治につながっているからね。<br />
　もし、私が政治的な闘争者であったとしたら、80年代も90年代も日本に住んでいただろう。しかし、私は「バイバイ」と言いさって、渡欧したわけです。けれど、自分の政治的な身体のことは考え続けてきたのです。<br />
<br />
<strong>チョン：</strong>韓国の文化とコンテンポラリーアートの現在は西洋の資本主義的な金の力にとても影響を受けています。アーティストは政治的な活動家ではありませんが、政治に働きかけている面はあると思います。身体を使い、文化性の政治化と戦っています。<br />
　私はどうやったら世界に向けて、国家に向けて、自分の踊りをつかって働きかけ、闘うことができるのか、と考えています。<br />
<br />
<strong>◆　日韓、ダンスの違い</strong><br />
<br />
<strong>チョン：</strong>あまりハッキリとしたことは言えませんが、日本のコンテンポラリーダンスを観て思うのは、即興性（インプロビゼーション）が多い気がします。あくまでも私にとってですが、感情的で情熱的すぎる面があります。韓国とは反対ですね。<br />
　これは、教育の違いからだと思います。韓国には大学やダンスを教える教育機関が数多くあり、多くの外国人講師を招聘しています。だから、韓国は技術を学ぶ環境が良く、身体は、どうやって身体でデザインするかを知っています、デザイン性があります。けれど、内にある情熱や感情が見えない、と私は思います。<br />
　日本では情熱や感情を多くみることができますね。どうやったらそんなに？と、感動します。多分、韓国に、私たちに必要な部分でしょうね。日本では、多分、その心をどうやったら舞台上に組み入れていくのかが解らないのかも知れません。<br />
　日本人アーティストは沢山話すし、コンセプトや意味を沢山盛り込みますね。けれど、ダンサーと空間、距離、時間の間にある関係性が、何をどう構築し、際立たせ、ラインを崩していくかをわかってないですね。<br />
</p><div id="attachment_8815" class="wp-caption aligncenter" style="width: 617px"><a href="http://www.danceplusmag.com/wp-content/uploads/2011/07/0e01962cf1ef53995f2f9110de11cf12.jpg"><img src="http://www.danceplusmag.com/wp-content/uploads/2011/07/0e01962cf1ef53995f2f9110de11cf12-607x404.jpg" alt="撮影：庵雅美" title="_MG_2391 のコピー" width="607" height="404" class="size-large wp-image-8815" /></a><p class="wp-caption-text">撮影：庵雅美</p></div><p>
<br />
<strong>◆　アウトサイダー、そして舞踏</strong><br />
<br />
<strong>チョン：</strong>室伏さんは、日本とヨーロッパの間でどんな発見をしましたか？<br />
<br />
<strong>室伏：</strong>私は自分が何者であるかは考えなかった、けれど、全くもってアウトサイダーだと、あるいは、日本人では無いと感じていた。私が特定の文化の一員となることも、政治的な動きの１つとなることも好まないからね。しかし、踊り、踊っている時は完全に独立していて、身体は私自身に繋がっているんだ、と感じれるんだ。<br />
　しかし、ここで大きな問いが私に向かってくる。<br />
　身体は私の両親からもらった生まれたものだし、私は歴史的な物語を考え、そしてそれを気にかけたいとも思っている。しかしこの身体は常に他者であり、常に、既に未来へと向かっている。私は日本人だと思っている、しかし、それは既に過去のことだ。<br />
　私の身体は過去であり未来でもある。<br />
　舞踏の歴史を語るとしよう・・・土方巽は、“異物である”ということから始めた。私もこの考え方を受け入れている。土方は彼独自のスタイルを確立しようと試みた。しかし、土方の後継者たち（私もその世代だが）、彼ら彼女らは、土方のスタイルを信じきり、習ったことや土方のスタイルを真似しているだけだ。舞踏はステレオタイプとなってしまった。<br />
</p><div id="attachment_8811" class="wp-caption aligncenter" style="width: 395px"><a href="http://www.danceplusmag.com/wp-content/uploads/2011/07/53406b36426e59d0903d4f39af36169d.jpg"><img src="http://www.danceplusmag.com/wp-content/uploads/2011/07/53406b36426e59d0903d4f39af36169d.jpg" alt="撮影：庵雅美" title="_MG_2031 のコピー_small" width="385" height="576" class="size-full wp-image-8811" /></a><p class="wp-caption-text">撮影：庵雅美</p></div><p>
<br />
<strong>◆　ダンスのDNA</strong> <br />
<br />
<strong>チョン：</strong>私は普段は、自分が韓国人であるとか、男であるとか、年齢だとかは気にしません。でも、他の国から来た人たちは、わたしのアイデンティティを尋ねてきます、それで、自分が何者か、どこから来たのか？　と考え直すのです。<br />
　動くことができないとき、ゆっくりゆっくりと「ああ、この動きは既に自分の一部となっているんだ、これは私自身なのだ」と、受け入れていきます。この形は西洋からきたものだ、けれど、自分の一部となっている。恐らく、引き離すことはできないもの。だから、私はそれを受け入れます。それより私にとってもっと重要なことは、このテクニックをどうやって使うのか、どうやって自分自身のテクニックに変化させるか、ということです。<br />
　海外にいくと、“あなたはアジア人だ。だからアジアのことを教えてくれ”と言われることがあります。それで、私はアジア人、韓国人で、田舎で育ち、私の家族、私の家族がもたらしたもの・・・と考えはじめます。恐らく、それはDNAのことなのでしょう。<br />
　私は韓国の歴史や韓国料理、環境といったDNAを引き継ぎ、影響を受けています。そして外国からの教育も私に影響を与えています。<br />
<br />
<strong>◆　コンテンポラリーダンスとテクノロジー</strong><br />
<br />
<strong>チョン：</strong>なぜアーティストの歴史とテクノロジーの歴史はこうも違うのかと思います。多くの批評や多くのコンテンポラリーダンスはモダンダンスよりも良しとされていて、モダンはロマン主義のダンスよりも良しとされて、ロマン主義はクラシックダンスよりも良しとされている。この事は特に批評やジャーナリズムの側で起こっています。<br />
　私はそうは思いません。科学とテクノロジーは別ですね。20世紀のそれは19世紀よりもより良いものであったし、19世紀は18世紀よりも。しかし、今、多くの人は混乱しているのはないでしょうか？　今の芸術が過去のアートよりもただ良いものだとは限りません。コンテンポラリーダンスがモダンダンスよりも良いと思わないけれど、テクノロジーや科学は違うということです。私はいまでもモダンダンスやモダンミュージックを楽しみますし、クラシック音楽もダンスもね。それは趣向や質によると思うのです。<br />
<br />
<strong>◆　未来へ向けて </strong><br />
<br />
<strong>室伏：</strong>私はどんなシステムにも、イデオロギーにも所属したくない。しかし、アーティストのビジョンや闘争とは何か、このことについて話したかったんだな。自分の身体の言語を使った政治的な闘争は終わりがない。<br />
自分の人生が終わるまで、私はファイターであり続けていると思う。これが、日本の若いダンサーや学んでいる人たちへのメッセージだな。<br />
　ぜひ、日本と闘ってください。今、日本の若い世代や全国民が大震災の惨事のことで東北へ行きたがっているね、彼らは“１つの日本”になろうとしている、そして、何かしら助けなくてはならないと思っている。もちろん、それは良いことでもある、が、しかし、それだけじゃないだろ？と思う。私は別の感覚をもっている。なすがままに、と。<br />
　日本がどんどん落ちぶれていって、外に出て行って、私はそれを見ている。“悪いけど、サヨナラ、ニッポン”とても悲しいよって。ってね。　<br />
</p><div id="attachment_8816" class="wp-caption aligncenter" style="width: 617px"><a href="http://www.danceplusmag.com/wp-content/uploads/2011/07/b425d097383b4f1dd7ce60b325ce8488.jpg"><img src="http://www.danceplusmag.com/wp-content/uploads/2011/07/b425d097383b4f1dd7ce60b325ce8488-607x404.jpg" alt="撮影：庵雅美" title="_MG_2415 のコピー" width="607" height="404" class="size-large wp-image-8816" /></a><p class="wp-caption-text">撮影：庵雅美</p></div><p>
<strong>チョン：</strong>どうやったら、イデオロギーから、主義から、私の身体から、自分のテーマから逃げることができるのか、どうやって自分の国や国籍から離れることができるかと、考えています。同時に私は自分が何なのか、を探しています。アーティストは政治的な、資本主義的な闘争者ではない。しかし、私たちは終わりまで、永遠に、闘わなくてはならない。<br />
　答えはないのです。解決策も。ただ、終わりまで問いがあるだけ。だから、ダンサーのみなさん、終わりまで続けてください、そして他人とどこが似ているか、他の言葉と何が似ているのかを探してください。<br />
　何が私と他のダンサーが似ているか、私と他の先生が似ているのか。そして何が違うのか。どうか、考えてみてください。<br />
<br />
<strong>室伏：</strong>コミュニケーションにとって何が一番大切かという大きなメッセージだね。どうやって、コミュニケートし、そしてどうやって違いをミックスするのかということもね。<br />
</p>
<a href="http://www.danceplusmag.com/wp-content/uploads/2011/07/kampai.png"><img src="http://www.danceplusmag.com/wp-content/uploads/2011/07/kampai-300x218.png" alt="kampai" title="kampai" width="300" height="218" class="aligncenter size-medium wp-image-8825" /></a><p style="text-align: right;"><span style="font-size: x-small;"> （2011年5月5日＠京都芸術センター）</span></p>
<br />
</p>
<blockquote><p><strong>高山しょうこ</strong>（たかやま・しょうこ）<br />
東の都から西の都にきて４年。ずっと踊ることなぞできないと思っていた、自分のこの身体。このWSで身体への意識がちょっと変わったかも！？　見るのでもするのでも、踊りがある人生って楽しいですね。</p></blockquote>
<p>
<br />
</p>
<blockquote><p><strong>中村まや</strong>（なかむら・まや）<br />
大阪府出身。2005年ペルー留学中、たまたま暗黒舞踏に出会い、コンテンポラリーダンスに興味を持つ。現在商社で働きながら、暑い夏のワークショップやサルサを通じ、よく動く体づくりを試みる。</p></blockquote>
<p>
</p>
]]></content:encoded>
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		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>【暑い夏11】ダイアローグ　クルト・コーゲル × 住吉山実里・箕浦慧・山下健一</title>
		<link>http://www.danceplusmag.com/c1/8588</link>
		<comments>http://www.danceplusmag.com/c1/8588#comments</comments>
		<pubDate>Sun, 26 Jun 2011 16:24:49 +0000</pubDate>
		<dc:creator>kogo</dc:creator>
				<category><![CDATA[interview]]></category>
		<category><![CDATA[暑い夏11]]></category>

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		<description><![CDATA[

クルト・コーゲル
空間における身体の知覚、感覚を探求する／場と関係性を創造する／流動する／開き続ける／場を区切る。他者と触れ合う中で動きがどのように変わっていくのかを体験します。空間と関係性に耳を澄]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>
</p>
<blockquote><p><strong>クルト・コーゲル</strong><br />
<span style="font-size: x-small;">空間における身体の知覚、感覚を探求する／場と関係性を創造する／流動する／開き続ける／場を区切る。他者と触れ合う中で動きがどのように変わっていくのかを体験します。空間と関係性に耳を澄ましながら、より豊かな気づきを得ていきましょう。そして、空間での共振を深めるためにシンプルな選択をすることによって状態を変容させていきます。ストラテジーやツールを理解し使いこなすことで、構成されたかのような即興的なパフォーマンスが現出するでしょう。</span><br />
<br />
<hr /><br />
<img src="http://www.danceplusmag.com/wp-content/uploads/2011/06/prof_kurt.gif" alt="plof_kurt" title="plof_kurt" width="80" height="80" class="alignleft size-full" /><strong>KURT KOEGEL　クルト・コーゲル</strong>　（ドイツ／フランクフルト）<br />
分析的かつ丁寧な彼のコンタクト &#038; インプロヴィゼーションの指導は、あらゆる受講者に好評を博している。ニューヨークでダンスと建築を10年間学んだ後、拠点をヨーロッパに移し、パフォーマー、振付家そして指導者として活動している。ウルティマ・ヴェス、ローザス、ガロッタ、PARTSなどヨーロッパの一流カンパニーなどで指導を行っている。ヨガ、フェルデンクライス、ボディ・マインド・センタリング、ロック・クライミングなどの知識を活かし、より効果的な指導を探求し続けている。目標とするところは、自然と社会環境に対する理解を踏まえた、より効果的なコンテンポラリーダンスの享受方法を探求すること。フランクフルト音楽・舞台芸術大学教授兼コンテンポラリー・ダンス教育学研究科学科長。</p></blockquote>
<p>
<br />
さまざまな立場から建築に関心をよせる受講生3人（住吉山実里、箕浦慧、山下健一※五十音順）が、クルト・コーゲルに京都の建築を案内して歩き、一日を振り返って話をしてくれました。映像でのリリースを予定していたのですが、音声の問題により、聞きとれた部分で構成する記事にしました。快くこの企画に協力してくれた3人と、惜しみなく語ってくれたコーゲル氏に心から感謝します。<br />
<br />
<p style="text-align: right;"><span style="font-size: x-small;"> 翻訳・構成：古後奈緒子</span></p>
<br />
<p>山下：今日はお疲れ様でした。いろいろと見て回って、どんなことを感じましたか。<br />
<br />
コーゲル：素晴らしい観察が得られました。隣り合った要素のディテール、異なるテクスチャーについて。カフェやレストランで話したことや、晴らしくデザインされた小さな部屋での、わびさびの体験もね。<br />
<br />
住吉山：そういった観察はダンスにも応用できますか。例えばディテールについて、建築とダンスの関係は？<br />
<br />
箕浦：自然の中にいる時、ダンスみたいに空間と作用し合うって言っていたね。<br />
<br />
山下：自然環境(natural environment)だけじゃなく、<a href=" http://ja.wikipedia.org/wiki/建造環境" target="_blank">建造環境(built environment：構築環境とも訳される)</a>が、あなたの立ち居振る舞いに作用すると。その時、自然環境と人工の環境では、その作用に違いがあると思いますか？<br />
<br />
コーゲル：いい質問ですね。三つの要素、あるいは三つの異なる状況が考えられるかな。<br />
まず細部について。僕は写真も撮るのですが、その時、自然と人工の環境両方を対象にします。この二次元の表現で面白いのは、平面に凝縮された密度です。特に好きなのが、細部に「テレスコープ・イン」することです。全体を見ることは必ずしも必要ない。実際、部分を見るだけでそれ以上のことがわかります。ダンスでも同じで、例えば今ここで教えながら一緒に踊っていて楽しいのは、何か大きなことに取り組んでいるからではありません。（･･･と、おもむろに手でのコンタクトが始まる）</p>
<br />
<a href="http://www.danceplusmag.com/wp-content/uploads/2011/06/kurt02.png"><img src="http://www.danceplusmag.com/wp-content/uploads/2011/06/kurt02.png" alt="kurt02" title="kurt02" width="583" height="428" class="aligncenter size-full wp-image-8606" /></a><br />
<p>こうやって、どの程度の軽さをかけるのか、どの程度優しくするか、この微細な感覚に、好奇心をかきたてられるのです。同じような細部についての感覚を、今日は、ある絵画にも感じました。ほんの僅かのことで、質が変わる。この点では自然も建造環境も似ているところがあります。<br />
次に、僕自身と他の物の間にある空間が孕む可能性についても考えました。例えばこの建物と･･･いや、こっちの庭のほうが興味深いな。感じ方にこういう違いが出ること自体、興味深いけどね。例えば想像してみてください。芝生の平らなところがあれば寝転ぶことを考えるし、置き石のカーブや肌理、草木など、すべてが僕にことなるやり方で働きかける。そういった感覚は、ダンスでも同じなんです。ちょっと手を貸してくれる？</p>
<object width="600" height="480"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/1k4McMGI56s?version=3&amp;hl=ja_JP&amp;rel=0"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" value="always"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/1k4McMGI56s?version=3&amp;hl=ja_JP&amp;rel=0" type="application/x-shockwave-flash" width="600" height="480" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true"></embed></object><br />
<br />
<p>建築でも同じことです。建造空間をデザインするんです。例えば･･･これなんか、悪い建築のいい例ですね。この廊下など、空間の余地も、ディテールの豊かさもない。道もただただ真っ直ぐ。対照的な例を思い出すと、今日見たホテルの廊下ですが、とても狭い空間にもかかわらず、微妙に湾曲をつけていたり、石の配置も大、小、小、小、大と変化に富んでいた。こういった空間に、僕は身体的に感銘を受けます。ただ温泉や食堂めざして通り抜けるというわけにはゆきません。歩くにつれてフォーカスは変わり、体の姿勢もシフトしてゆく。<br />
このように、建築にもいろんな可能性があります。例えば<a href=" http://ja.wikipedia.org/wiki/ダニエル・リベスキンド" target="_blank">ダニエル・リベスキンド</a>のユダヤ博物館は素晴らしい。中に入ると階段を上がってゆくにつれて、狭くなり、天井も低くなってきて、身体的な閉塞感を感じます。でも壁に外に抜ける切り込みが入っていて、それによって少しだけ息をつける感じがする。こういうのはいい。</p>
<br />
<a href="http://www.danceplusmag.com/wp-content/uploads/2011/06/kurt05_smile.png"><img src="http://www.danceplusmag.com/wp-content/uploads/2011/06/kurt05_smile.png" alt="kurt05_smile" title="kurt05_smile" width="586" height="428" class="aligncenter size-full wp-image-8609" /></a><br />
<p>コーゲル：<a href=" http://ja.wikipedia.org/wiki/クリストファー・アレグザンダー" target="_blank">クリストファー・アレクザンダー</a>も、好きな建築家です。彼は建築家のいない建築、つまりその土地にもとからある、歴史的な建物を好みました。僕は彼の『パターン・ランゲージ』という本に大きな影響を受けました。彼は建築を形式や様式でなく、僕の解釈では、環境への行為の残滓として捉えていました。同様に、僕は様式を持たないダンスに関心を持っているのです。形、あるいは予め決まった形式を持たないダンスを見つけようとしてきたんですね。もちろん、ヨガやピラティスをするときは決まった形式にのっとってやりますが。でも踊る時は、形式を発明してゆくわけです。例えば、昨日のビギナークラスで鴻さんがやった舞踏。形の生み出されてゆく様にとても興味を持ちました。歪み（distortion）−と僕は捉えたのですがーが多く用いられていたため、僕はそれらの形を再現することはできませんでしたが。というのも僕はこれまで、ニュートラルな体を作るため、いかなる残滓もない、クリーンで完全にニュートラルな身体をつくるために訓練してきたのですからね。でもこの歪みは好きでした。僕のニュートラルな体からこの歪みに達するためには、何かに係わりながら練習する必要があるような気がしまた。相互関係がなければ、この歪みはきっと形式になってしまうでしょう。歪みは英語で、形を破壊することなのにね。ドイツ語の「引きつれさせるverzerren（ver歪める＋zerren引っ張る）」という言葉も、しっくりきます。<br />
ここにもまた、相互作用というポイントが含まれていました。自然の環境と建造環境のいずれにせよ、僕は空間の中に自分の置き場所を見つける可能性を持っていると感じるんです。興味深いのは、それをグループで観察することです。建築では、いかなる空間も、そこで動く人々に、相互に作用しながら動く場を提供していると考えます。僕は今、こういったリサーチが、建築の学生が観察するような、いくつかのモジュールを備えた実験場で行われることを構想しています。<br />
<br />
住吉山：<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/アフォーダンス" target="_blank">アフォーダンス</a>のこと？<br />
<br />
コーゲル：いや、僕の関心はそこにはありません。そもそもマテリアルではなく、あくまでもその間の、相互の関係に関心があるのです。空間は、その中での動きや振る舞いを促進するかも知れないし、あるいは阻害するかも知れません。これが建造環境について僕が今考えていること。空間的干渉（spacial intervention）のやり方ですね。この実験場で、建築の学生や建築家は、様々な方法で3Dモデリングを行える。もちろん、3Dモデリングなんて、どこの建築学科でも必須です。僕が研究したいのは、対身体の動きです。目の前にあるオブジェを使って、自分自身がどう反応するのか。その際の空間との関係、キネステティックな反応、</p>
<object width="600" height="480"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/OPivh-ZMYy8?version=3&amp;hl=ja_JP&amp;rel=0"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" value="always"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/OPivh-ZMYy8?version=3&amp;hl=ja_JP&amp;rel=0" type="application/x-shockwave-flash" width="600" height="480" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true"></embed></object><br />
<br />
<p>それから、<a href=" http://ja.wikipedia.org/wiki/深部感覚" target="_blank">深部感覚（proprioception）</a>も。身体に備わっている特殊な感覚の一つで、自分が空間の中でどこにいるかを知る感覚。偉大なバレエダンサーは、この感覚に優れているんですよ。体の線を目で見ずにつくる感覚だからね。そして僕の関心は、この深部感覚が、建築との関係でどのように拡張するかにあります。建築学の一領域がこの深部感覚に注目して、身体の感覚能力が、空間や、社会的環境にどう作用するかを扱ったなら、と考えているのです。<br />
<br />
箕浦：<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/ル・コルビュジエ" target="_blank">ル・コルビュジエ</a>が、人体比なんかを基にしてモジュールを作ったというのを聞いたことがある。<br />
<br />
コーゲル：<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/モデュロール" target="_blank">モデュロール</a>ですね。尺度のシステムがいろいろあるのは面白い。黄金律とか日本の間（けん）など。違っているのは、異なる身体に備わる内部感覚をベースにしているからでしょうね。でも、いかなる空間も、そういった身体の感覚とかかわる尺度を備えていて、僕たちに語りかけているんです。空間の中で、落ち着く落ち着かないといったことも。例えば今日見た、レストランのテーブルなんか、4人にぴったりだったでしょう。それから･･･、<br />
<br />
住吉山：床の間？<br />
<br />
コーゲル：そう。完璧でした。そういった感性は現実にある。だから、今、展開できればすばらしいなと思う領域の一つは、そのような感覚を考慮した都市デザインです。もう少し憩ったり人と交わったりする可能性、干渉の余地を孕んだ空間を、都市空間に設けられれば。<br />
<a href=" http://ja.wikipedia.org/wiki/ローレンス・ハルプリン" target="_blank">ローレンス・ハルプリン</a>は知っていますか？　アメリカのランドスケープ建築家で、たくさんのインスピレーションを与えてくれます。僕の故郷の近くにまっすぐ伸びたメインストリートがあったんだけど、まるで死んだみたいだった。彼はその側面のそこここを少し内側に寄せて、日本の道みたいにわずかに蛇行状にしたんです。それによって、道の脇に、座ったりいろんなことができる場所ができ、それだけで道が生き生きしました。川もそうだけど、少し流れからはずれて、せき立てられずに休息したり、その空間を楽しんだりできる、滞留する余地が生まれたんです。空中に回廊も設けたりして、そうすると人が単に通り過ぎるだけじゃなく、交通し出す。<br />
例えばここなら、商店街の真ん中の･･･。<br />
<br />
山下：ああ、寺町の三角のコーナーね。<br />
<br />
箕浦：日本の道にも同じ考え方がある。祇園の花見小路かな。いろんなものを見ながら蛇行してゆく。<br />
<br />
コーゲル：ウィリアム・ブレイクも言っているね。&#8221;Improvement makes straight, straight roads, but the crooked roads without improvement are roads of genius.&#8221; ぴったりの引用じゃないですか。僕の考えでは、経済と持続可能性と触覚にかかわる相互作用を混ぜ合わせて、ものを考える時期に来ているんじゃないでしょうか。<br />
<br />
箕浦：まさにそういった要素が、京都という都市に人を引きつけているんだろうな。<br />
<br />
コーゲル：そうだと思います。ここには触覚に訴える素晴らしい質感がたくさんある。京都は僕のお気に入りの都市の一つです。純粋に建築を捉えても素晴らしいけど、テーブルに着いたりしてフィジカルに関わると尚更ね。この都市が与えてくれる、身体経験の可能性には驚かされる。<p>
<br />
<div id="attachment_8610" class="wp-caption aligncenter" style="width: 592px"><a href="http://www.danceplusmag.com/wp-content/uploads/2011/06/kurt06.png"><img src="http://www.danceplusmag.com/wp-content/uploads/2011/06/kurt06.png" alt="偶然通りがかった彼女。ローレンス・ハルプリンに詳しく大変盛り上がったのですが･･･声が全く拾えていませんでした。残念です！" title="kurt06" width="582" height="429" class="size-full wp-image-8610" /></a><p class="wp-caption-text">偶然通りがかった彼女。ローレンス・ハルプリンに詳しく大変盛り上がった様子･･･でも声が全く拾えていませんでした。残念です！</p></div><br />
<p>クルト：ちょうどいいから、彼女の話に付け加えよう。ローレンス・ハルプリンは、記譜の考えも取り入れていたんだ。たくさんの人が、クリエイティブ・プロセスに係わるためのリソースとしてね。リソース、スコア、ヴァリューアクション、リヴァリュエーションと、観客との間に循環をつくることができるんだ。今、ビジネスマネジメントのコーチングでも言われているんだけど、誰かがボスになり、トップダウン式にタスクを課すのではもうやってゆけない。人々の内面に働きかけて、個人を動機づけ、個々に持っている創造的な資源を出してもらえるようにしなければ。このマネジメントモデルは、もちろん経済的な厳しい状況では特に大切になってきます。もちろん、よりよい働き方もね。ダンスの教授法のパラダイムでも同じことが起こっていると思いますよ。<br />
えっ、もう時間？　このダイアローグは第二弾をやらなくちゃね。<p>
<br />
<p style="text-align: right;"><span style="font-size: x-small;"> （5月06日＠京都芸術センター）</span></p>
</p>
]]></content:encoded>
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		<title>【暑い夏11】講師インタビュー Vol. 22 マタン・エシュカー</title>
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		<pubDate>Mon, 13 Jun 2011 20:11:35 +0000</pubDate>
		<dc:creator>kogo</dc:creator>
				<category><![CDATA[interview]]></category>
		<category><![CDATA[暑い夏11]]></category>

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		<description><![CDATA[
 聞き手・インタビュー構成：小林三悠



MATAN ESHKAR 　マタン・エシュカー　（イスラエル／テルアビブ）
ヨガ指導者。ニューヨークのDNA(Dance New Amsterdam)やNew York Yogaにて講師として活躍。現在はイスラエルで、インバル・ピントダンス・カンパニーや、バ]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>
<p style="text-align: right;"><span style="font-size: x-small;"> 聞き手・インタビュー構成：小林三悠</span></p>
<br />
</p>
<blockquote><p>
<img src="http://www.danceplusmag.com/wp-content/uploads/2011/06/prof_matan.gif" alt="plof_matan" title="plof_matan" width="80" height="80" class="alignleft size-full" /><strong>MATAN ESHKAR 　マタン・エシュカー</strong>　（イスラエル／テルアビブ）<br />
ヨガ指導者。ニューヨークのDNA(Dance New Amsterdam)やNew York Yogaにて講師として活躍。現在はイスラエルで、インバル・ピントダンス・カンパニーや、バッドシェバなどのプロフェッショナル・ダンサーへの指導を行っている。彼のヨガは古くからあるヨガの知恵を現代生活に適応する言語に置き換えた革新的で独創的なもので、ヨガ指導者のための指導も行い、アメリカ、ヨーロッパ、メキシコなど世界各地で指導を行っている。ダンスやスポーツでの負傷や再訓練、痛みのケアなどに特化したクリニックも行っている。昨年来京し、その的確な指導が評判を呼び今回の招聘につながる。</p></blockquote>
<p>
<br />
<hr /><p><b>感じることは、喜び</b><br />
<hr /><p>
<br />
<strong>Q１：</strong>最近気になっていることは、ありますか？<br />
<br />
<strong>エシュカー（以下、M）：</strong>緊張と痛みの関係です。感情的にも肉体的な意味においても。ヨガの練習をするときもそうですが、何かを体験するためには緊張の入れ具合によって体験の質が変わってくるように思えます。緊張が低すぎれば体験すべきことを十分に知覚しづらいし、かといって緊張が高すぎると何かを体感する際にその緊張は私たちの役に立ちません。<br />
<br />
<strong>小林（以下、K）：</strong>日常生活においても同じようなことがいえるのでしょうか？例えば誰かと会話をしていて、どれだけ深く質問を投げかけるかとか･･･。<br />
<br />
<strong>M：</strong>もちろんです。そういった精神的なことだけでなく、肉体的にもいえると思います。会話している際にどの程度相手と近づいて話すか、とか。<br />
<br />
<div id="attachment_8438" class="wp-caption aligncenter" style="width: 610px"><a href="http://www.danceplusmag.com/wp-content/uploads/2011/06/3ec2eb4f1a4ea5e30c96ef5060bcef58.JPG"><img src="http://www.danceplusmag.com/wp-content/uploads/2011/06/3ec2eb4f1a4ea5e30c96ef5060bcef58.JPG" alt="撮影：宇佐美偉丈" title="0501_B_tu0005 のコピー" width="600" height="400" class="size-full wp-image-8438" /></a><p class="wp-caption-text">撮影：宇佐美偉丈</p></div><p><strong>Q２：</strong>ヨガの先生をする前はどんな職業に就かれていましたか？<br />
<br />
<STRONG>M：</STRONG> (苦笑い)前職であるといえるかどうかは分からないけど、イスラエルの政府で働いていました。政府で働く人が身につける銀の時計やネクタイ、背広などを政府で購入する役割をしていました。<br />
<br />
<STRONG>K：</STRONG>その職業からヨガの指導者になることは、直接結びつきづらい気がしますが、そこからどんなきっかけでヨガに移行されたのですか？<br />
<br />
<STRONG>M：</STRONG>政府での仕事の契約が終了し、NYで働かないかとある会社からオファーを受けました。そこでは、大学で学んだメディアとアートをビジネスとしていかに生かせるかが問われたのですが、両者の間につながりを持たせたいのか、数日してもはっきりしませんでした。ビジネスも魅力的でしたが、違うアングルでビジネスをみることが出来ないかと考えはじめたんです。テルアビブでは、個人セッションを始めるようになり、NYでもヨガセラピー、ロルフィング、トリガー、指圧といったテクニックを学び続けました。フェルデンクライスを集中的に学ぶようにもなったのもその頃だったと思います。そしてイスラエルに帰国し、慢性的な痛みを持った方や動きの質やパフォーマンス向上に興味のある方とワークをするようになったわけです。<br />
<br />
<STRONG>K：</STRONG>パフォーマーに向けてのみのワークが中心ですか？<br />
<br />
<STRONG>M：</STRONG>現状ではパフォーマー、ダンサーたちは多いですね。ヨガはNYで仕事をしていたときも続けていました。その頃よく友達や家族と、ヨガで習った概念や物事のとらえ方を応用して話をしていたのですが、そうすると、問題が解決されていったり、自分がそれを自然に伝えたりしている事に気がついたんです。これもヨガを単に練習する立場から、ヨガの指導者になるきっかけの１つだったのかもしれません。</p>
<br />
<div id="attachment_8439" class="wp-caption aligncenter" style="width: 617px"><a href="http://www.danceplusmag.com/wp-content/uploads/2011/06/3ff19b6b6d9c4d3a9b90b7595514b928.jpg"><img src="http://www.danceplusmag.com/wp-content/uploads/2011/06/3ff19b6b6d9c4d3a9b90b7595514b928-607x404.jpg" alt="撮影：庵雅美" title="_MG_1075 のコピー" width="607" height="404" class="size-large wp-image-8439" /></a><p class="wp-caption-text">撮影：庵雅美</p></div><br />
<p><strong>Q３：</strong>今回の京都の暑い夏マタン先生のヨガのテーマは、大きくperception(知覚)とperfection(理想),duality(両義性)が根底にあったと感じました。このヨガの練習のテーマはダンサー、表現者、又は日本を意識したテーマ設定だったのでしょうか？<br />
<br />
<STRONG>M：</STRONG>いろんな国にワークショップをしに行くのですが、どの国にも通用する普遍的なテーマを選ぶようにしています。その中で、それぞれの国の人がテーマに対してどう反応するのかに興味があるので、できるだけ大きなテーマから入ります。<br />
<br />
<STRONG>K：</STRONG>何か、こう宇宙的な原理を取り入れるようなという感じですか？<br />
M　そうですね。今回、フェスティバルの事務局長、森裕子さんからお話があった際に、そのテーマがダンスと環境であることを知り、自分自身が今興味のある、緊張と痛み、体験と知覚の関係などを探るワークが面白いのではないかと思いました。<br />
<br />
<STRONG>K：</STRONG>そうすると、指導のプロセスは、生徒たちに知識を提供する場というよりも、マタン先生自身の興味の探索の場といっても良いわけですか？<br />
<br />
<STRONG>M：</STRONG>その通りだと思います。自分自身も現在ヨガをNYで習っていて、私の師も緊張と痛みについて多くを教えてくれます。自分自身ももう少し深くそのテーマを探求したい気持ちがありました。<br />
duality(両義性)については、体験をより明確に知覚するきっかけをくれます。緊張が起こる１つのものともう１つのものの間に存在するものや、opposition(対極)を知ることで違いや変化の認識も深まります。初めは、大きすぎてつかみどころの無いテーマになるかもしれないと思ったのですが、芸術センターについてみて生徒に触れ始めるとこのテーマがしっくりき始めました。<br />
そこから少しずつ知覚することを広げるためのワークを取り入れていきました。それ以降は、大体計画した内容で練習を進めています。これがどうダンス、ムーブメントテクニックに対応する可能性があるのかが楽しみです。そればかりでなく、日常の動きでも、例えば自転車に乗ったり、歩いたり、人と話したりする際にも変化がおこるかといったことにも。<br />
<br />
<strong>Q４：</strong>ヨガを通して特別に日本のダンサーに伝えたかったことはありますか？<br />
<br />
<STRONG>M：</STRONG>来るまでの道中で何かあるかな？と考えていた気もしますし、今、考えている途中かなと思います。このことについて述べるまでには、もう少し日本に関わる必要があるでしょうね。ちょっと考えないとすぐに答えは出てこないです。ただ、劇的に様々な事が起こっている日本で、変わり行く環境にどのようにリアクションしてゆくか、その能力をいかにして補うかといった作業が重要なのだと感じます。</p>
<br />
<div id="attachment_8440" class="wp-caption aligncenter" style="width: 617px"><a href="http://www.danceplusmag.com/wp-content/uploads/2011/06/29c1c7cf8868644a12dc2b2818e2b556.jpg"><img src="http://www.danceplusmag.com/wp-content/uploads/2011/06/29c1c7cf8868644a12dc2b2818e2b556-607x404.jpg" alt="撮影：庵雅美" title="_MG_1222 のコピー" width="607" height="404" class="size-large wp-image-8440" /></a><p class="wp-caption-text">撮影：庵雅美</p></div><br />
<p><strong>Q５：</strong>そういった考えを抱き始めた中で、全9日間の練習で一週間が経ちましたが、もし私たちと更に長い期間練習を続けるとしたら一緒に探索し続けてみたいテーマのようなものはあるでしょうか？<br />
<br />
<STRONG>M：</STRONG>指導してみて気付いた事がひとつあるのですが、それは参加者がとてもオープンであることです。フロイトの言葉を借りるならば、エゴのレベルがとても低い。エゴみたいなものが参加者の中からほとんど感じられません。エゴを持つ事自体、問題ではないのですが、例えばモチベーションが高すぎて、これはこうするべきだとか、こうすればこうなるといった結果を求めた練習にみえません。私はこれが出来る！と見せびらかすような雰囲気も無いですし･･･どちらかというと、どのような事があっても、おこることを認めて受け入れるといった姿勢がそこにあるように思えます。<br />
<br />
<STRONG>K：</STRONG>その理由は、ダンサーやクリエーターの参加者が多いからでしょうか？普段から、クリエーションの場で、その瞬間に起こっていることを楽しむ人たちだから･･･。<br />
<br />
<STRONG>M：</STRONG>そうかもしれないけど、僕もダンサーや振付家が沢山いるような場で同じワークを提供しています。でも、そういった方々でも非常にエゴが強い場もいくつも見てきています。今回の参加者は、個々のモチベーションの度合いが、適度な気がします。どのくらい自分をプッシュして、どのくらいセーブしておこうか、みたいなやり取りがちょうど良い。トライしてみて、体験してみてその度合いを決めるといった姿勢があるのかな？私が今までに出会ったクラスの参加者は、ゴール設定が存在し、それを凄く狭めて『もし、ゴールに到達不可能だとしたら、最悪な事態。でも、もし到達したらスーパーマンになれる』といった姿勢を持っている人もいます。<br />
<br />
<STRONG>K：</STRONG>この姿勢というのは、日本的だといえるのかな～と考える事があるんです。例えば、凄く小さな島国で資源も少なく、変化に柔軟に対応しないといけない。日本人の環境への対処の仕方を考えたときに、クリアーな四季があることも日本人の心や体のありように影響を与えてきたのかもしれないなと･･･なんだか、受け入れるとか、１つの固定された心身のありようを選ぶのではなく、どちらにでも転べる適応可能の身体みたいな･･･。<br />
<br />
<STRONG>M：</STRONG>そこまで言うのなら世界にその日本人のありが方を広めて欲しいくらいですよ！だって私の国イスラエルは、日本よりももっと小さい国だけれど、−−もしかしたら、イスラエルにいえることではなく中東全般に言えることかも知れませんが−−、『何が大切で良いかを理解しているのは、自分自身であり、それを貫き通す！』といた姿勢があります。調整力がより低いし、その反応能力(responce-ability)も少ないと思います。単なる力と力のぶつかり合いを出来る限り続けて、『私は調整しない、この道を行く！』といった生き方を選択しています。その力と力の抵抗がちょうど良く、度合いが調節しあえたら、一緒に暮らせて皆幸せになるのですが。でも、ほとんどのケースは力同士でぶつかってしまいます。少なくとも、今の状況に対して私が感じていることです。でも、ここへきて指導してみて、こういったぶつかり合いのかかわり方をする人に誰一人あっていない気がします。<br />
<br />
<STRONG>K：</STRONG>これが京都だからなのか、日本だからなのか･･･、私も日本人として分かりません。どうなのだろう？<br />
<br />
<STRONG>M：</STRONG>私も日本とのかかわりがまだまだ少ないから分かりません。決して、イスラエルにはこういった人が皆無だということでもないのですが、何か、控えめで目立ちたがらない感じ。謙虚さというか。そういったものを感じました。<br />
<br />
<STRONG>K：</STRONG>それは、何か日本とイスラエルの文化の中で、異なった教育方法とか、人との関わりに方に違いがあるのでしょうか。私の個人的な興味からですが、身体教育の仕方の違いがあるのではないかと。日本では、例えば、書道や合氣道などといったものがあります。イスラエルの文化には、国に根付いている身体教育のようなものは、あるのでしょうか？ <br />
<br />
<STRONG>M：</STRONG>なるほど。ちょっと考えさせてください。<br />
<br />
<STRONG>K：</STRONG>例えば、一般の方が普段お稽古みたいに行うものなどありますか？<br />
<br />
<STRONG>M：</STRONG>GAGA（イスラエルのバットシェバ舞踊団の芸術監督、オハッド･ナハリンがつくったメソッド）は、皆好んでやっています。クラブマガ（20世紀前半、イスラエルで考案された近接格闘術。現在、一般市民向けには、武道の一環として護身術に重点を置く形で取り入れられている。）いや、あれは、違うな。どちらかというとイスラエルのバイオレントな部分が出ているもので、子供の頃からイスラエルの教育システムに組み込まれているものではありません。最近では、ヨガを子供達の教育の現場で試しているという動きはありますが、これも国に根付いて昔から行っているものではありません。う～ん。もしかしたら、無いのかもしれない。あるとすれば、お祈り？でも、全ての国民が行うわけではないし、その教育の仕方は、各家庭によって異なるような気がします。</p>
<br />
<div id="attachment_8441" class="wp-caption aligncenter" style="width: 617px"><a href="http://www.danceplusmag.com/wp-content/uploads/2011/06/2ae78b919668c382a37bd9c76597374e.jpg"><img src="http://www.danceplusmag.com/wp-content/uploads/2011/06/2ae78b919668c382a37bd9c76597374e-607x404.jpg" alt="撮影：庵雅美" title="_MG_1197 のコピー" width="607" height="404" class="size-large wp-image-8441" /></a><p class="wp-caption-text">撮影：庵雅美</p></div><br />
<p><strong>Q６：</strong>これは、私も日々考えていることなのですが、ダンスを上達させるためには、ダンスの練習だけでは不十分な気がするのです。何か、パフォーマンスとクリエーションの架け橋になるようなソマティック教育の重要性を日々考えています。そこで、今回このフェスティバルで、マタンさんはダンサーのためのボディーコンディショニングのクラスを担当されていて、しかもイスラエルやNYでもダンサーや振付家の方々にも個人セッションを提供されていますよね。こういった状況の中で、何故ボディーコンディショニングのクラスがダンサーに必要だと思われますか？　また、表現力やクリエーションの力を身につけるには、ボディーコンディショニングのクラスがダンス技術向上のためにどんな役割を果たしていると思われますか？<br />
<br />
<STRONG>M：</STRONG>ヨガをダンサーたちに教え始めて初期の頃に気がついたのは、多くのダンス指導者がクラスの中で、知覚について体を動かす際の緊張度について触れないという事実でした。また、いかに体をケアするかということやコンディションを整えること。コンディションといっても１つの動きに対してそれがなされるための方法ではなく、永久に継続的に身体に有機的に関わるための思考回路とでもいいましょうか。<br />
ギターを弾くことに置き換えることも出来ます。実際の演奏の前にチューニングをして、そして引いている際にもチューニングをしながら演奏をし続ける必要がある。この例を体に置き換えて考えられると思います。こういった稽古について十分に触れられていないように思われます。別にこれは、動きに関わる分野の方々に限ったことではありません。学校でもそうだと思います。こういったことに触れている教育者にかつて出会った事がありません。<br />
ですから、今日インタビューでこういったことについてお話できたことはラッキーなことだと思います。社会では、perfectionの原理が主になっています。何が美しいか。きれいな肌、スリムなウェストライン、筋肉のついた身体、きれいなネイルのデザインなど。これらはみんなファッションです。ファッションとは変化するものです。もしその変化に賛同できなければ、折り合いのつけ方を理解していないとすると、本当に行き詰っています。<br />
そういった状況に行き詰らないためにも、いかに変化に調整してゆくかを学んでいかく必要がでてくるのです。それを常に日常の中でも稽古をする事が重要だと思います。このフェスティバルの主旨を私が正しく理解しているとするならば、ダンスやクリエーションをする作業の中で、こういった基礎の原理や道具がいると思います。<br />
<br />
<STRONG>K：</STRONG>そういった面で、ダンスの練習やクリエーションの現場では、ただ単に肉体的な要素に目を向けるだけでなく、世の中でも通用する精神的な局面にも触れる機会が必要不可欠であるというわけですね。<br />
<br />
<STRONG>M：</STRONG>そうでなければならないと思います。現在そうであろうが無かろうが、そうなっているはずなのです。ただ、身体とよりよくコミュニケーションを取ればー身体とハート、精神と肉体どんな風な呼び名で呼ばれようともーそういった場所が見つかれば踊ったり、動いたり、パフォーマンスをする現場で、怪我をすることや痛みが減少します。<br />
<br />
<STRONG>K：</STRONG>私もその通りだと思います。</p>
<div id="attachment_8442" class="wp-caption aligncenter" style="width: 617px"><a href="http://www.danceplusmag.com/wp-content/uploads/2011/06/5f32b1cc59f98cc0adbc11c6f5ef9c1e.jpg"><img src="http://www.danceplusmag.com/wp-content/uploads/2011/06/5f32b1cc59f98cc0adbc11c6f5ef9c1e-607x404.jpg" alt="撮影：庵雅美" title="_MG_1047 のコピー" width="607" height="404" class="size-large wp-image-8442" /></a><p class="wp-caption-text">撮影：庵雅美</p></div><br />
<p><STRONG>M：</STRONG>痛みや怪我を負ったとしても、その回復のスピードが増します。身体がバネのようになるのです。ここから別の場所へ飛び、また元の位置に戻り、好きなときに、好きな分だけ他の場所へと旅たつ事が出来、しかも自分自身という元の場所へいつでも戻ってくる事が可能です。<br />
<br />
<STRONG>K：</STRONG>ダンスのスタイルによっては、生徒が動きの形や指導者の真似をすることに必死になっていることもあるように、思えますが。指導の傾向は、ダンスのスタイルによるのでしょうか？<br />
<br />
<STRONG>M：</STRONG>それは、先ほども述べたようにダンスのスタイルで決まるというよりも、各先生の指導の仕方次第だと思います。少なくとも、私が見ている限りでは、スタイルには関係は、無いと思います。<br />
<br />
<strong>Q７：</strong>いろいろな勉強を今までにされてきたとおっしゃっていましたので、マタンさんのヨガのクラスの要素について少し、お話をききたいと思います。９回のクラスを通して、マタンさんのヨガクラスには、フェルデンクライス・メソッド（モシェ･フェルデンクライス氏によって体系化されたメソッド。動き方を観察する事で行動と思考のパターンに気付く身体訓練法）の“動きのレッスン”の要素や言葉がけが多く取り入れられたように感じましたが、単にヨガのレッスンを提供することからフェルデンクライスの要素を取り入れることになった&#8221;きっかけ&#8221;や&#8221;意図&#8221;を教えてください。<br />
<br />
<STRONG>M：</STRONG>先ず、自分自身のヨガは、いろいろなものを吸収して、それを自分なりに練り直して構成したものです。そして、変化を加えてどうすれば、自分が達成していることをより楽しく実行できるかに趣を置いています。<br />
特別フェルデンクライスについて言えば、ヨガの練習というのは、１つのポーズをとるのに凄く力が入ってしまいがちになると気付きました。ポーズは、かなりきついものになりがちです。ヨガのポーズの中にある、逆方向に伸ばしあうという作業もかなりの緊張度の中行われる傾向にあります。しかし、フェルデンクライスの“Awareness Through Movement”(動きを通して気付くレッスン)を取り入れることによって、そのポーズに関わる際に、そのテンションを低くする事が可能です。神経系を落ち着かせ、感じる力を高める作用がヨガの強度の緊張から身体を解き放ってくれるのです。体の中に感じるスペースを少し作ってくれる感じ。ですから、意思をもってヨガの強度の高いポーズや、パフォーマンスを舞台上で行うといった緊張度の高い状況において、どのように自分自身の中にもどってこられるか、自分自身を発見しなおす場に戻ってこられるかといった稽古が重要です。<br />
実行したい事の意図を高く保持した状態で、高い緊張感にも対応できるソフトな心身の状態を目指すためにとりいれます。</p>
<br />
<div id="attachment_8443" class="wp-caption aligncenter" style="width: 617px"><a href="http://www.danceplusmag.com/wp-content/uploads/2011/06/7a5999ff065cbbe558494e8179558ebd.jpg"><img src="http://www.danceplusmag.com/wp-content/uploads/2011/06/7a5999ff065cbbe558494e8179558ebd-607x404.jpg" alt="撮影：庵雅美" title="_MG_1069 のコピー" width="607" height="404" class="size-large wp-image-8443" /></a><p class="wp-caption-text">撮影：庵雅美</p></div><br />
<p><strong>Q８：</strong>では、全く違う質問をひとつ。ヨガの指導者になっていなかったとしたらどんなことをしていたと思われますか？ <br />
<br />
<STRONG>M：</STRONG>写真撮影でしょうか。ただ単に写真をとるという作業でなく、展覧会を実施したいと思います。他のメディアとのコラボレーションを写真撮影を通しても行いたいです。ヨガを今教えていないとしたら、その方向へもっと深く関わっていくと思います。<br />
<br />
<STRONG>K：</STRONG>もしかしたら、来年度は、ヨガと写真・メディアといった分野を合わせたワークショップなどあると面白いと思います！いかがでしょうか！<br />
<br />
<STRONG>M：</STRONG>それ、面白いかもしれないですね！実際写真撮影をしているときは、ヨガを稽古しているような気分になるんです。レンズを覗くという行為が外の環境と自分のうちの感覚と関わるといった境地によく似ているんです。この探索について異なった局面でフェスティバルに戻ってこられるとしたらそれも面白いでしょうね。<br />
世の中は、写真術やイメージといったものにどんどん移り変わっていっている気がします。YouTubeとか。世の中が大きなスーパーマーケットのようなものです。いつも沢山の情報と体が交わる状況にいると思うんです。<br />
<br />
<STRONG>K：</STRONG>現在は、情報過多ってことですか？<br />
<br />
<STRONG>M：</STRONG>そうは、感じません。以前よりもただ単に情報の現れ方が、強烈なだけだと思います。<br />
<br />
<strong>Q９：</strong>最後の質問です。この語を聞いて思いつくものを思いつくまま答えてください。<br />
<br />
<STRONG>K：</STRONG>あなたにとって身体とは？<br />
<br />
<STRONG>M：</STRONG>管(pipe)です。<br />
<br />
<STRONG>K：</STRONG>感じることとは？<br />
<br />
<STRONG>M：</STRONG>探索すること（exploration）。<br />
<br />
<STRONG>K：</STRONG>知覚することとは？<br />
<br />
<STRONG>M：</STRONG>喜び(happiness)です。<br />
<br />
<STRONG>K：</STRONG>お話しできてとても楽しかったです。<br />
<br />
<STRONG>M：</STRONG>私も楽しかったです。</p>
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<div id="attachment_8445" class="wp-caption aligncenter" style="width: 617px"><a href="http://www.danceplusmag.com/wp-content/uploads/2011/06/4546f2661526b951393ab22b9a066f821.jpg"><img src="http://www.danceplusmag.com/wp-content/uploads/2011/06/4546f2661526b951393ab22b9a066f821-607x404.jpg" alt="撮影：庵雅美" title="_MG_1186 のコピー_small_small" width="607" height="404" class="size-large wp-image-8445" /></a><p class="wp-caption-text">撮影：庵雅美</p></div><br />
<p style="text-align: right;"><span style="font-size: x-small;"> （2011年5月3日＠京都芸術センター）</span></p>
<br />
</p>
<blockquote><p><strong>小林三悠</strong>（こばやし・みゆ）<br />
2002年アメリカ留学中にBODY　WEATHER　LABORATORY(身体気象研究所)に出会う。その後、フェルデンクライス･メソッドに出会い、環境と身体の関係に興味を持つ。現在は、『身体とコミュニケーション』をテーマにしたフェルデンクライス･カフェ京都を主催。ダンサー、演奏家、スポーツ選手、リハビリに関わる方、知的障がいや学習障がいを持つ方々と動きや身体表現のワークショップを企画。動きをきっかけによりよいコミュニケーションについて考える日々。<br />
</p></blockquote>
<p>
<br />
</p>
]]></content:encoded>
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		<title>2011.4.19-5.7 薄井憲二バレエ・コレクション企画展2011 「ワツラフ・ニジンスキー ～栄光と挫折～」＠兵庫県立芸術文化センター</title>
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		<pubDate>Fri, 08 Apr 2011 16:40:20 +0000</pubDate>
		<dc:creator>kogo</dc:creator>
				<category><![CDATA[interview]]></category>
		<category><![CDATA[古後奈緒子]]></category>

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		<description><![CDATA[何かを知りたいという好奇心が動いたとき、その心の運動を物事の奥深く遠くへ導いてくれるのが、ライブラリーやアーカイヴといった公の知の集積場です。舞台の上だけの現象と考えられがちなダンスにも、古今東西のダン]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>
何かを知りたいという好奇心が動いたとき、その心の運動を物事の奥深く遠くへ導いてくれるのが、ライブラリーやアーカイヴといった公の知の集積場です。舞台の上だけの現象と考えられがちなダンスにも、古今東西のダンスについて、また人々がダンスにどんなまなざしを向けて来たのかを伝えてくれる、素敵な資料がたくさんあります。今回は、知る人ぞ知る<a href="http://www1.gcenter-hyogo.jp/sysfile/center/ballet/index.html" target="_blank">「薄井憲二バレエ・コレクション」</a>の魅力を、企画展「ワツラフ・ニジンスキー ～栄光と挫折～」を準備中のキュレーター、芳賀直子さんにご紹介いただきました。<br />
<br />
<p style="text-align: right;"><span style="font-size: x-small;"> 協力：兵庫県立芸術文化センター<br />
取材・構成：古後奈緒子</span></p>
<br />
<a href="http://www.danceplusmag.com/wp-content/uploads/2011/03/e8ed67b580f4f36f8d3769fb5ce943fc.jpg"><img src="http://www.danceplusmag.com/wp-content/uploads/2011/03/e8ed67b580f4f36f8d3769fb5ce943fc.jpg" alt="ニジンスキー１_resize" title="ニジンスキー１_resize" width="600" height="861" class="aligncenter size-full wp-image-8007" /></a><br />
<p><strong>＋</strong> このコレクションは、ダンスに関する個人所蔵のものでは世界有数の規模だそうですね。どのような特色があるのでしょうか。<br />
<br />
<strong>芳賀：</strong>まずコレクションの柱となっているのが、ロマンティック・バレエ、ロシアの帝室バレエ、バレエ・リュス、そしてアフター・バレエ・リュスの4つで、これらについては特に充実した資料があります。<br />
　他のコレクションと違う点はいろいろありますが、何より個人が魅力があると思ったものを、自らの足と資金とネットワークで集めたものなので、コレクターご自身の趣味と関心が反映されてる点は特徴的です。とりわけバレエ・リュス関連は充実しています。そもそもストラヴィンスキー好きが高じて、バレエ・リュスに出会ってファンになられたところに、偶然お兄さんが洋書屋さんでプログラムを見つけて買っていらしたことが、コレクションの始まりだそうです。また、ご本人が「私はロマンティックなものが好きだから」とおっしゃるように、マリー・タリオーニやファニー・エルスラーといったロマンティック・バレエのダンサーが書いたお手紙などもあります。写真もサインと献辞が書かれているものがあったり、そういった世界に一つといったものも少なくありません。<br />
　資料の種類では、プログラムが大きな割合を占めているのも特徴の一つです。プログラムは2種類に分けて、「オフィシャル・プログラム」あるいは「スーヴニール・プログラム」と呼ばれる、写真やイラストがたくさん入っているお土産になるようなものと、当日ただで配られたり2ダイムくらいで売られたりする配役表の載ったものがあります。厳密に言うと、劇場が出しているシアターマガジンのようなものがプログラムの代わりをしていることもありますが。このコレクションでは、バレエ・リュスに関しては公式のものはほとんど、当日のものも比較的揃っていて、この点については世界にも誇っていいと思います。というのも当日プログラムは希少で、私はこのコレクションに出会う前に、5、6年くらい欧米で資料探しをしていたのですが、どんな図書館に行ってもまずこれほどのボリュームではありません。また、本来ならそれを全部集めることでしか、バレエ・リュスの全貌はわからない重要な一次資料でもあります。たとえ公式プログラムにスケジュールが出ていたとしても、ダンサーが怪我をしたり美術が届かなかったりで、予想以上に変わっていることが多いものですから。加えて、同時代の日本人で、例えば石井柏亭や小磯良平らがバレエ・リュスを見たことがわかっているのですが、画家の彼らがどの作品を目にしたのかといったことも、当日プログラムがあればわかってきます。<br />
<br />
<strong>＋</strong> 他のアーカイヴと合わせて見ても、面白いですね。こちらでも公演された、ハンブルク・バレエ団のジョン・ノイマイヤーさんも、ニジンスキーについて膨大なコレクションを公開していますね。また、古書収集で有名な文化人類学者の山口昌男さんが、ある講演で、楳茂都陸平の関係した作品にバレエ・リュスの影響が認められる資料を出されていました。<br />
<br />
<strong>芳賀：</strong>お二人とも、いらっしゃったことがあるんですよ。ノイマイヤーさんは公演された折に来られて、とても面白がってくださいました。私も彼のコレクションは、オルセー美術館で展示されたされた時に拝見したのですが、全く違う視点の面白さがありました。ニジンスキーに特化していて、絵画やデッサンをたくさん、それも彼が精神を病んでからのものもかなり持っていらっしゃる。<br />
<br />
<strong>＋ </strong>熊川哲也さんや、金森譲さんらがコレクションに関心を持たれているとも耳にします。蒼々たる振付家や研究者が注目しているんですね。<br />
<br />
<strong>芳賀：</strong>やはり海外で踊られた方は、自分がどういった伝統の上に立っているかを自覚せざるを得ないんでしょうね。日本のダンサーがなかなかそれに気づかず、歴史に触れる機会がないのは、残念なことだと思います。そういう意味でも、サマースクールなどでここに来るときに、見てもらえる機会ができればいいなと私は思っています。</p>
<a href="http://www.danceplusmag.com/wp-content/uploads/2011/03/CL80_nijinsky1.jpg"><img src="http://www.danceplusmag.com/wp-content/uploads/2011/03/CL80_nijinsky1-584x1024.jpg" alt="CL80_nijinsky" title="CL80_nijinsky" width="227" height="393" class="alignleft size-large wp-image-8011" /></a><a href="http://www.danceplusmag.com/wp-content/uploads/2011/03/CL83_small1.jpg"><img src="http://www.danceplusmag.com/wp-content/uploads/2011/03/CL83_small1-607x755.jpg" alt="CL83_small" title="CL83_small" width="320" height="393" class="alignright size-large wp-image-8014" /></a><br />
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<p><strong>＋ </strong>コンテンポラリーダンスにとって、歴史、つまり共有された記憶はとても大切だと思います。提示されたものの新しさなりが公に認識される土壌でもありますし、それがなければ、実験性のあることをやっても実験として成り立たなかったりする。<br />
<br />
<strong>芳賀：</strong>バレエも日本では明治の頃にはすでに知られていて、学び始めてもかなりになるのに、日本で歴史を共有できるものとして作ってきたとは言えない部分がありますね。ここ10年ほどは世界的な傾向でもありますが、日本はとりわけ歴史が軽視されている。ただ、今いろんなことが起こっていて、社会構造も変わりつつある中で、過去に目を向ける動きも出てくるだろうなとは思いますけれどね。<br />
<br />
<strong>＋</strong> そういえばここ数年、先鋭的な作家たちが、過去の作家や作品にインスピレーションを得て作品づくりをしていますね。バレエ・リュスに絞っても、エマニュエル・ユインが、ジョフリー・バレエの『春の祭典』のリコンストラクションを見て、創作につながるショックを受けたと語っているし、ピチェ・クランチェンは『ニジンスキー・シャム』という作品を創っています。<br />
<br />
<strong>芳賀：</strong>バレエ・リュスがこのところ注目を集めていたのは、2009年に100周年を迎えたことも関係していたのでしょうね。前後して、ロンドンのビクトリア＆アルバート美術館やストックホルムのダンス博物館など、関連する展覧会や作品上演がかなりありました。映像なども新たに出てきて、情報も資料もこれから出てくるものがあるのではと期待されているところです。ここでも2005年のオープニングの時に、日本初の『春の祭典』のリコンストラクション上演をやっています。あのような形でリコンストラクションが続けば面白いとも思いますし、ここに限らずとも創作に携わる方の何らかのソースになればとも思っています。<br />
<br />
<strong>＋</strong> アーティストが利用できるのはいいですね。具体的には、どんな手続きが必要なのですか。<br />
<br />
<strong>芳賀：</strong>施設担当課がコレクションの窓口になっており、目的と関心の焦点などをご相談いただければ、きちんとご案内できると思います。例えば『眠れる森の美女』を上演するので過去の上演について知りたい。もしくは、デザインの参考にロシア構成主義の舞台美術を見たいなど。女性の表象の変遷といったテーマでも構いません。時々「全部見たい」というご要望があるのですが、お気持ちはわかりますし、サイトで全容を紹介し切れていないということなのかも知れませんが、対応に困ってしまいますので。とにかく具体的な関心がおありになれば、うちに資料がない場合も、どこにゆけばよいかなどご提案できることもあるかと思います。それと、多くが外国の資料なので、語学力を必要とするものもありますが、イラストなど視覚的な資料も多いので、創作者側にインスピレーションを得ていただくのも良いと思います。<br />
<br />
<strong>＋</strong> 芳賀さんご自身が、こうしてダンスの資料に関心を持たれたきっかけは何だったのですか。<br />
<br />
<strong>芳賀：</strong>私も薄井さんと同じで、バレエ・リュスが入り口でした。それまでに大好きだった画家、音楽家、そしてニジンスキーといった、びっくりするような人たちが一つのバレエ団にいたことを知って、最初は嘘だと思ったくらい。だって、日本人の大好きなマリー・ローランサンもいるし、そうならもっと音楽や美術の教科書とか、何かに載っているはずじゃないですか。それがないから自分で調べ始めたら、バレエと全くつながらないような人や、私が知らないアーティストも含めて、もっと面白い人たちが関わっていた。一人一人も個性に溢れていますし、つながりもどんどん広がっていく。作品のなりたち一つとっても、音楽から出来ていくとき、ダンサーからのとき、私的な感情が絡んでいるとき、一つ一つに物語があって小説を読むよりも面白いくらいです。<br />
<br />
<strong>＋</strong> そうした面白さが、多様な視点の企画に反映されているのですね。<br />
<br />
<strong>芳賀：</strong>まずはこのコレクションそのものが非常に多岐にわたるので、企画ではそのことをお見せしてきたいと考えています。実際、バレエやダンスに関心がある人でなくとも、楽しんでいただける部分がたくさんあるんですよ。<br />
　デザインに関心がおありの方は、例えばバクストの美術なんかは、今見てもすごく新鮮でしょうし。また、1909年と1929年のプログラムでは広告もがらりと変わっていて、途中からバケーションのツアーやエステの広告などが出てきたり、イラストのコルセットの形がファッションの流行に合わせて変わって来たり。今では有名になったエルメスや、帽子屋さんの頃のココ・シャネルが広告を出していることもわかる。私自身が、プログラムを何度見ても飽きません。<br />
　また、映像のジャンルとも興味深いつながりがあります。ここに映像資料は含まれませんが、ジャン・コクトーやレオニド・マシーンなど、映画製作に携わったアーティストの資料の他、写真の中にはバレエ・リュス・ド・モンテカルロのダンサーたちが、クラーク・ゲイブルと写っているものがある。というのは、映画の黎明期には、かなりのダンサーが映画に引っ張られたこともあり、ド・モンテカルロのダンサーの少なからずが映画に出演しているからなんです。最近研究している方も出てきて、興味深いテーマだと思います。<br />
<br />
<strong>＋ </strong>2008年にはチョコレート屋さんの広告特集がありました。文化史的な視点でも取上げられていますね。<br />
<br />
<strong>芳賀：</strong>「コメディア・イリュストレ」という雑誌が、バレエ・リュスのプログラムを多く出していたので、広告が多くあるんです。広告は、ロマンティック・バレエの時代のものもあるんですよ。ダンサーのスタイルを真似た服とか、「タリオーニ風オムレツ」なんてものまで（笑）。ファッションとは、シャネルの衣裳が舞台に上がり、舞台上の衣裳が現実の流行になるといった相互的な関係もあります。バレエ・リュス・ド・モンテカルロの時代になると、「ヴォーグ」のモデルとしても活躍するダンサーが出てきます。流行を発信する広告媒体としてバレリーナを見ても面白いし、バレエダンサーが社会の中でとう捉えられて来たか、その変遷も反映している。壮大なテーマですけれど、どなたか調べてくれればいいなと思います。<br />
<br />
<strong>＋ </strong>見に来る人の様々な関心によって、アーカイヴから新しい価値が生み出され、活性化されてゆくわけですね。<br />
<br />
<strong>芳賀：</strong>それはもう。何よりこの劇場自体が、いろんな人の立ち寄ることのできる場所にあるので、気軽に来られた方にも「面白い」と思っていだける企画をということはいつも考えています。</p>
<br />
<p style="text-align: right;"><span style="font-size: x-small;"> （2011年3月16日＠兵庫県立芸術文化センター）</span></p>
<br />
</p>
<blockquote><p><strong>芳賀直子</strong>（はが・なおこ）<br />
舞踊研究家 新国立劇場バレエ研修所講師<br />
明治大学大学院文学部文学科演劇学専攻博士課程前期終了（文学修士号取得）。専門はバレエ・リュス、バレエ・スエドワ研究。幼い頃からバレエに関心を持ち続け、大学で本格的にバレエ研究を開始。各種媒体への執筆や展覧会企画・監修、各地に招かれての講演などを行っている。鎌倉在住。<br />
著書：『ICON～伝説のバレエ・ダンサー、ニジンスキー妖像～』講談社、『バレエ・リュス～その魅力のすべて～』国書刊行会。</span> </p></blockquote>
<p>
<br />
<br />
<br />
</p>
<blockquote><p>
<strong><a href="http://www1.gcenter-hyogo.jp/sysfile/center/ballet/index.html" target="_blank">薄井憲二バレエ・コレクション</a>企画展2011 「ワツラフ・ニジンスキー ～栄光と挫折～」</strong> <br />
Vaslav Nijinsky ～Glory and setbacks～　<a href="http://www.google.com/calendar/event?action=TEMPLATE&#038;text=%E8%96%84%E4%BA%95%E6%86%B2%E4%BA%8C%E3%83%90%E3%83%AC%E3%82%A8%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3%E4%BC%81%E7%94%BB%E5%B1%952011+%E3%83%AF%E3%83%84%E3%83%A9%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%8B%E3%82%B8%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC+%EF%BD%9E%E6%A0%84%E5%85%89%E3%81%A8%E6%8C%AB%E6%8A%98%EF%BD%9E+Vaslav+Nijinsky+%EF%BD%9EGlory+and+setbacks%EF%BD%9E&#038;dates=20110419/20110508&#038;details=+http%3A%2F%2Fwww1.gcenter-hyogo.jp%2Fsysfile%2Fcenter%2Fballet%2Findex.html&#038;location=+&#038;trp=&#038;sprop=&#038;sprop=name:http%3A%2F%2Fwww1.gcenter-hyogo.jp%2Fsysfile%2Fcenter%2Fballet%2Findex.html" target="_blank"><img src="http://g.caleynog.jp/img/icon/google-24.png" border="0" alt="Google" /></a> <a 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<strong><p style="text-align: right;"><span style="font-size: x-small;"> ↑ボタンをクリックしてカレンダーに追加／ソーシャルネットワークに投稿できます</span></strong></p></blockquote>
<p>
<br />
飛んだまま降りてこなかった、舞踊の神とまで呼ばれ天才の名を欲しいままにしたニジンスキー。<br />
しかし、彼が第一線で活躍したのはわずかな時間だった。<br />
その事は彼の活躍の陰に隠れて忘れられがちかもしれない。<br />
彼のダンサー、振付家としての素晴らしい業績と共にその人生を紹介します。<br />
<br />
企画・監修：芳賀直子（はが・なおこ/薄井憲二バレエ・コレクション・キュレーター）<br />
<br />
</p>
<blockquote><p> 開催期間：2011年4月19日（火）-5月7日（土）<br />
場所：<a href=" http://www1.gcenter-hyogo.jp/sysfile/center/top.html" target="_blank">兵庫県立芸術文化センター</a> 2階メインエントランス内 情報コーナー「ポッケ」<br />
URL：<a href="http://www1.gcenter-hyogo.jp/sysfile/center/ballet/index.html" target="_blank">薄井憲二バレエ・コレクション </a><br />
お問い合せ：兵庫県立芸術文化センター　薄井憲二バレエ・コレクション担当<br />
電話：0798-68-0223（代表）<br />
FAX：0798-68-0212<br />
</p></blockquote>
<p>
<br />
<br />
</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://www.danceplusmag.com/c1/7984/feed</wfw:commentRss>
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		</item>
		<item>
		<title>「淡海現代ダンス計画」森川弘和『a4』</title>
		<link>http://www.danceplusmag.com/c1/7781</link>
		<comments>http://www.danceplusmag.com/c1/7781#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 21 Feb 2011 15:01:59 +0000</pubDate>
		<dc:creator>kogo</dc:creator>
				<category><![CDATA[interview]]></category>
		<category><![CDATA[古後奈緒子]]></category>

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		<description><![CDATA[卓越した運動能力で知られる森川弘和が、いまだ遊び飽きない「紙と戯れる」シリーズ。第三弾『a4（コモジ エーヨン）』が、昨年の『瞬き』に続き、「淡海現代ダンス計画」で発表されます。一つめの『A4（エーヨン）』からの]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>
　卓越した運動能力で知られる森川弘和が、いまだ遊び飽きない「紙と戯れる」シリーズ。第三弾の<a href=" http://a4-aaaa.com/" target="_blank">『a4（コモジ エーヨン）』</a>が、昨年の『瞬き』に続き、「淡海現代ダンス計画」で発表されます。一つめの『A4（エーヨン）』からの森川氏と森本氏[<a href="http://schatz-kammer.com/" target="_blank">Schatzkammer</a>]、二つめの『AAAA（エーフォー）』から加わった筆谷氏。今回の企画者である、<a href="http://www.souzoukan.jp/" target="_blank">しが県民芸術創造館</a>の白崎氏を交えて、創作のプロセスについてお話しいただきました。<br />
<br />
<div id="attachment_7775" class="wp-caption aligncenter" style="width: 610px"><a href="http://www.danceplusmag.com/wp-content/uploads/2011/02/DSC_0042.jpg"><img src="http://www.danceplusmag.com/wp-content/uploads/2011/02/DSC_0042.jpg" alt="撮影：森本達郎" title="DSC_0042" width="600" height="399" class="size-full wp-image-7775" /></a><p class="wp-caption-text">撮影：森本達郎</p></div><br />
</p>
<blockquote><p>『a4』（コモジ　エーヨン） 公演<br />
出演：森川弘和　　美術：森本達郎[Schatzkammer]　　照明：筆谷亮也<br />
日時：2011年3月5日（土）14:00/19:00〜6日（日）16:00<br />
会場：<a href=" http://www.souzoukan.jp/location/index.html "target="_blank">しが県民芸術創造館　リハーサル室</a><br />
URL：<a href="http://a4-aaaa.com/index.html" target="_blank">淡海現代ダンス計画 『a4』（コモジ　エーヨン） 公演</a></p></blockquote>
<p>
<br />
<strong>＋</strong>　昨年に続く「淡海現代ダンス計画」で、森川さんの公演を組んだのはなぜですか。<br />
<br />
<strong>白崎</strong>　この計画は、「生活／教育福祉／滋賀発」ということを三本柱にしているので、その滋賀発で、森川さんの公演をすることにしました。森川さんは、各地で評価されているダンサーですが、東京などでの仕事が多く、出身地の滋賀で彼だけの作品を見る機会はありませんでした。そこで、昨年の<a href=" http://www.danceplusmag.com/c1/5579" target="_blank">『瞬き』</a>が終わって、すぐに声をかけたんです。<br />
<br />
<strong>＋</strong>　いわゆる地方の文化事業は、中央で評価を得た作品を紹介することが多かったわけで、そこで行われてこなかったことですね。「紙と戯れる」シリーズになったのは？<br />
<br />
<strong>白崎</strong>　『A4』は見ていたので、彼等の提案を受けて、創造館で実現可能だと判断しました。森本さんの美術はシンプルで、ものと関わることから開かれる可能性がある。筆谷さんも、もともと建築から来ている人なので、照明が空間をつくることにまで及んでいる。この3人の組み合わせでいける、と。<br />
<br />
<a href="http://www.danceplusmag.com/wp-content/uploads/2011/02/DSC_2158.JPG"><img src="http://www.danceplusmag.com/wp-content/uploads/2011/02/DSC_2158-300x199.jpg" alt="DSC_2158" title="DSC_2158" width="300" height="199" class="aligncenter size-medium wp-image-7657" /></a><br />
◆ 100%思い通りにはならない紙<br />
<br />
<strong>＋</strong>　「紙と戯れる」アイデアは、どこから？<br />
<br />
<strong>森本</strong>　『A4』は、舞台美術が一番先にあって、つまり、私が紙を使いたかったんです。もともとSchatzkammerの公演枠で作られた作品で、そこでは僕が美術、ダンサーはダンスをお互いに出し合うという創作のスタイルなので。そこから、森川さんの身体性を見た時、わりとミニマルな空間と相性がいいと思ったので、面白いことができないかと声をかけたんです。<br />
<br />
<strong>＋</strong>　白紙を模した『A4』のフライヤーデザインも、作品にぴったりでしたが、そもそもなぜ紙を？<br />
<br />
<strong>森本</strong>　ちょうどその頃は、ダンサーに制約をかける美術を探していたんです。紙は面材ではあるけれど、重ねていくと立体的な塊としても捉えられる。それにつれて用途も変わる。手にも持てるし、積んで置いたら台にもなる。どんどん変化していくので、制約のかけかたが丁度いいかなと。<br />
<br />
<strong>森川</strong>　確かに、思い通りになり切らない。一枚でも巧く扱えないこともあるし、例えば机として見立てても、崩れたくないところで崩れたりする。本物の机は、練習すればたぶん、100%に近く扱えると思うけど、紙だとそうはいかない。でも、逆に自由。形や見立てが変わっていくところなど、シンプルなアイデアなのに、使い道がたくさんある。たぶん、それを見つけていくのが面白いんだと思います。<br />
<br />
<strong>＋</strong>　私が観客として引き込まれたのは、一つはそこです。自分の体ならいくらでも制御できてしまう森川さんが、紙との関わりを探る中で“遊び”が生まれる。より楽しもうとすると、「落とさない」だとかのルールも自ずとできるし、観客も見ているうちにそれらを共有して、遊びの共犯者になってゆく。遊戯の誕生とその輪の広がりに、リアルに立ち会わせる構造だと思ったんです。<br />
<br />
<strong>白崎</strong>　その展開は、僕には全く違って見えました。あのオブジェがだんだん紙に見えなくなってきて、アナログな物体でなく、デジタルな情報に見えてきた。あの堆積はインターネットのサーバで、その情報に、森川さんがだんだん埋もれてゆくと…。<br />
<br />
<strong>筆谷</strong>　僕もそれに近い印象も感じていました。森川さんと紙の関係性に現代社会的なものが重なって見えていた状態です。反復の動きが、ルーティーンワークのように繰り返されていくところが特にそう見えたんだと思います。<br />
　でもその中で、時間の経過とともに少しずつ変化がおこっていったんです。とりきめられた繰り返しの中で、この感覚に気付いたときに、むしろ自由になってゆく印象が際立ってみえてきました。特に遊び心がある動きや、森川さんがそれを楽しんでいるのが見える瞬間に心を動かされたように思います。<br />
<br />
<a href="http://www.danceplusmag.com/wp-content/uploads/2011/02/DSC_2180.JPG"><img src="http://www.danceplusmag.com/wp-content/uploads/2011/02/DSC_2180-300x199.jpg" alt="DSC_2180" title="DSC_2180" width="300" height="197" class="alignright size-medium wp-image-7660" /></a><br />
<a href="http://www.danceplusmag.com/wp-content/uploads/2011/02/DSC_2187.JPG"><img src="http://www.danceplusmag.com/wp-content/uploads/2011/02/DSC_2187-300x199.jpg" alt="DSC_2187" title="DSC_2187" width="300" height="197" class="alignright size-medium wp-image-7663" /></a><br />
<a href="http://www.danceplusmag.com/wp-content/uploads/2011/02/DSC_22031.JPG"><img src="http://www.danceplusmag.com/wp-content/uploads/2011/02/DSC_22031-300x199.jpg" alt="DSC_2203" title="DSC_2203" width="300" height="197" class="alignleft size-medium wp-image-7809" /></a><br />
<a href="http://www.danceplusmag.com/wp-content/uploads/2011/02/DSC_21451.JPG"><img src="http://www.danceplusmag.com/wp-content/uploads/2011/02/DSC_21451-300x199.jpg" alt="DSC_2145" title="DSC_2145" width="300" height="197" class="alignleft size-medium wp-image-7810" /></a><br />
<br />
◆ それまではきれいにやろうとしていた<br />
<br />
<strong>森本</strong>　『A4』を作りながら、森川さんは、「自分が見えてきたほうが面白くなりそうだ」って、よく言ってましたよね。紙技（一枚の紙を弄ぶことで展開してゆく動き）をやっているときに、「人が見える」というか。<br />
<br />
<strong>森川</strong>　紙技については、森本くんが最初に言い出した。「そうやって紙を手で弄ぶのは面白いですね」って。<br />
<br />
<strong>森本</strong>　そしたら、「いや、それは面白くないやろう」って、言われたんですけど（笑）。<br />
<br />
<strong>森川</strong>　そうだったかな（笑）。最初は、動きのつながり方については、ダンス的につるつるした、言ってみれば「カッコいいでしょ」みたいなのを狙っていたんでしょうね。で、紙を扱っているとそういうわけにはいかず、練習しながら翻弄されているうちに、それを逆に活かせるんじゃないかと。それまではきっと、失敗したくないと、きれいにやろうとしていた。でも失敗して「あぁ」ってなったとして、それを見せていいんじゃないか、むしろ作品に取り込めるんじゃないか。そう思ってから視野が広がった。もちろん、作品の中ではある程度準備した“失敗”になるけど、見ている人に作品に入ってきてもらえるようなきっかけになれば、と。<br />
<br />
<strong>＋</strong>　そこで、運動以外の質が見えるんですね。以前の作品は、完璧に制御された動きで構成されていたけれど。<br />
<br />
<strong>森川</strong>　たぶんそういうのを目指していたんだと思うんですよね。モノクローム・サーカスにいた時代にしても、かなりストイックな感じだったと思います。『A4』で紙技をやりながら、自分を見せるってところにチャレンジしていったのは、僕にとっての転機だったかなと思っています。<br />
<br />
<br />
<a href="http://www.danceplusmag.com/wp-content/uploads/2011/02/KC3A05811.JPG"><img src="http://www.danceplusmag.com/wp-content/uploads/2011/02/KC3A05811-300x225.jpg" alt="KC3A0581" title="KC3A0581" width="300" height="225" class="aligncenter size-medium wp-image-7680" /></a><br />
<br />
◆ 「わからない」が「面白い」へ<br />
<br />
<strong>＋</strong>　そうした「面白さ」は、共同作業の中でどのように膨らんでゆくのですか。<br />
<br />
<strong>森川</strong>　すんなりではないです。僕は何かを提示された時、それが面白いと思っても、負けずぎらいだから素直に受け入れられない。その面白さを使って、自分が納得するまでもくもくと作業を繰り返します。<br />
…森本君は、紙技のシーンで失敗する姿を見せることについて、最初はあんまりよく思っていなかったでしょう?<br />
<br />
<strong>森本</strong>　そう。僕はわりと森川さん以上にミニマルで、ぴしっとしたのが好きだから、「できるようになるまで練習すればいいんじゃない？」って（笑）。でも、稽古の中で、森川さんが「自分を見せる」って言う意味がわかってきてからは、面白いなと。<br />
<br />
<strong>筆谷</strong>　僕は『AAAA』から入ったメンバーなんですけれど、森本さんと同じように、クリエイションの中で森川さんの感じる面白さが最初はわからなかった瞬間が何度かありました。いまだから言いますけど（笑）森川さんが「きっとこれは面白い」と感じて、提案してくれるのがものすごく伝わってくるんですけど、自分の感覚では「うーん」となってしまっていて。そんな状態でも森川さんはものすごく真剣に、結構な時間をかけてその実験している。その時は僕にはこれがいったい何になるのか見えていなかったんです。そうこうしているうちに創作が進んで、全体の作品の中でシーンとして組みこまれたりしていくと、自分でも心から「これは面白い」と確信する瞬間が来たりする。森川さんには、そういう魅力があると思います。わからなくとも、そこに賭けたいと思わせるところも含めて。<br />
<br />
<a href="http://www.danceplusmag.com/wp-content/uploads/2011/02/KCA0585.JPG"><img src="http://www.danceplusmag.com/wp-content/uploads/2011/02/KCA0585-300x224.jpg" alt="KCA0585" title="KCA0585" width="300" height="224" class="aligncenter size-medium wp-image-7666" /></a><br />
<br />
<strong>森本</strong>　森川さんは、頑固だけど器用で、確かに想像しないものが返ってくる。僕はSchatzkammerでダンス作品を作ってはいますが、ダンスを見てて飽きることが多いんです。ダンサーに美術を提供すると、ダンスで返されるのが普通でしょう。でも森川さんは、紙という要素をちゃんと通過して、身体性に変えてくれる。筆谷君も、照明の提案によって作品が更新されるようなきっかけを作ってくれる。そうやって、各々が持って来たものが、現場で違うものに変わっていく面白さはあると思います。<br />
<br />
<strong>森川</strong>　１人ひとりの個性的なアイデアが集まることによって、１＋１は２以上のものが立ち現れてくる瞬間というのがいいですね。そういった、出来事だけがたまってゆくというか、ふくらんでゆく時間は、一緒にやっていて楽しいところです。その時間を形にしないといけないけど、半分くらいはできてるかな？<br />
<br />
<p style="text-align: right;"><span style="font-size: x-small;"> (2011年2月14日＠京都芸術センター 制作室）<br />
写真協力：白崎清史<br />
取材：古後奈緒子</span></p>
<br />
</p>
<blockquote><p><strong>森川弘和 Hirokazu Morikawa </strong><br />
滋賀県在住。22歳で渡仏しマイムとサーカスを学ぶ。帰国後、京都を拠点に活動するMonochrome Circusのダンサーとして5年間活躍。’07年よりフリーとなる。好奇心と探究心をもってからだに向き合い、その可能性を楽しみ、突き詰める。モチーフや振付家の意図が自分のからだを通り抜けたときに、新しい何かを生み出すための装置/フィルターとして機能する身体を模索し、また感情や感覚がからだを動かすこと、動物としての心身をも探求する。ドライな動きであり、かつ動物的な感覚をもつパフォーマンスは、出演する作品の中で高い評価を得ている。自身の作品を発表する他、小野寺修二/カンパニーデラシネラ、じゅんじゅんSCIENCE、dumbtype、Ted Stofferら、様々な振付家のもとプロジェクトに参加している。</p></blockquote>
<p>
<br />
</p>
<blockquote><p><strong>森本達郎Tatsuro Morimoto </strong><br />
茨城県出身。京都市在住。’01年、夏目美和子と<a href="http://schatz-kammer.com/" target="_blank"> Schatzkammer</a>を結成し、主に構成・演出を担当。作品に応じて映像、音響、舞台美術、宣伝美術などを手がける。近年は「新たな動きを想起させるための制約」をコンセプトにダンサーへ舞台美術を提示し、モノと身体とのより強い関わりからパフォーマンス作品を作り出している。また、’05年にデザイン事務所<a href=" http://www.artclick.jp/" target="_blank"> Design Company artclick</a>を京都に設立。グラフィック、ウェブ、映像など幅広く展開する。チラシやウェブが作品の一部となるようなデザインを提案し、デザイナーとしての立場からも「見る者」を作品へ取り込む「仕掛け」を模索している。</p></blockquote>
<p>
<br />
</p>
<blockquote><p><strong>筆谷亮也 Ryoya Fudetani</strong><br />
香川県 小豆島出身。2000年より関西を中心に活動を開始。建築を学びつつ、インテリア・ディスプレイデザイン、インスタレーション作品の発表、イベントでのアートディレクションをgraf 、アップルストア、CLUB QUATTROなど様々な空間で行う。2005年以降ライティングによる空間演出を活動の中心としつつ、イベントの企画／アートディレクションや照明演出を軸に置くパフォーマンスプロジェクトを展開する。2008年よりパフォーミングアーツカンパニーdotsに参加。同年、パリのルーヴル美術館で行われたアートフェア『PARIS PHOTO』では、オープニングパフォーマンス『山口典子 ケイタイガールマーチングプロジェクト』にディレクターとして参加する。dots、川崎アートセンターでの滞在制作作品『AAAA』(森川弘和×青柳拓次)や、古いアパート1棟をまるまる使い１部屋を１シーンとして作品を構成した『フワフープ』など、多くの作品に照明を担当すると同時にクリエイションメンバーとして参加する。</p></blockquote>
<p>
</p>
]]></content:encoded>
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		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>「踊りに行くぜ!! IIセカンド」の挑戦 ＜再掲載＞</title>
		<link>http://www.danceplusmag.com/c1/7604</link>
		<comments>http://www.danceplusmag.com/c1/7604#comments</comments>
		<pubDate>Sat, 19 Feb 2011 23:08:17 +0000</pubDate>
		<dc:creator>kogo</dc:creator>
				<category><![CDATA[interview]]></category>
		<category><![CDATA[古後奈緒子]]></category>

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		<description><![CDATA[東北大震災の影響で中止を余儀なくされた公演の中に、dance+で取材した「踊りに行くぜ!! II 」があります。よりによって巡回公演の締めくくり、意気込んで臨んだ東京公演がそのままお流れになるはずがないと思っていたら、やはりや]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>
東北大震災の影響で中止を余儀なくされた公演の中に、dance+で取材した「踊りに行くぜ!! II 」があります。<br />
よりによって巡回公演の締めくくり、意気込んで臨んだ東京公演がそのままお流れになるはずがないと思っていたら、やはりやってくれました。<br />
中止となった東京公演の、振り替え公演が、5月13日、14日に行われます。その間のことは、<a href="http://www.jcdn.org/site0000/blog.html" target="_blank">スタッフブログ「うろうろ日記」</a>にて。<br />
そして、お見逃しの方も、そうでない方も、どうぞ足をお運びください。<br />
<br />
<a href="http://www.danceplusmag.com/wp-content/uploads/2011/02/odori2-furikae2.jpg"><img src="http://www.danceplusmag.com/wp-content/uploads/2011/02/odori2-furikae2-607x256.jpg" alt="odori2-furikae2" title="odori2-furikae2" width="607" height="256" class="alignright size-large wp-image-8121" /></a></p>
<blockquote><p>「踊りに行くぜ!! II」東京公演　振替公演<br />
日時：2011年5月13日（金）～14日（土）<br />
会場： <a href="http://asahiartsquare.org/" target="_blank">アサヒアートスクエア</a><br />
URL：<a href=" http://odori2.jcdn.org/" target="_blank">「踊りに行くぜ!! II（セカンド）」</a><br />
<br />
■ 上演作品<br />
<a href=" http://odori2.jcdn.org/artists/artist-uemoto" target="_blank">「終わりの予兆」</a><br />
作・演出・構成：上本竜平/AAPA　<br />
<a href=" http://odori2.jcdn.org/artists/artist-maeno" target="_blank">「CANARY-”S”の様相」</a><br />
作・演出・構成・振付：前納依里子<br />
<a href=" http://odori2.jcdn.org/artists/artist-murayama " target="_blank">「カレイなる家族の食卓」</a> 作・構成・演出：村山華子<br />
</p></blockquote>
<p>
<br />
<br />
<p style="text-align: right;"><span style="font-size: x-small;"> ※　以下の記事は、伊丹公演に先立ちリリースされたものです。</span></p>
<br />
コンテンポラリーダンスは今、日本に入って来て以来の移行期に入っているのかも知れない。日本でコンテンポラリーダンスを牽引してきた機関が、10年を迎えるのと前後して方向性を変え、昨年10周年を迎えた<a href="http://odorini.jcdn.org/modules/odorini9/index.php/content0064.html" target="_blank">「踊りに行くぜ!!」</a>も<a href=" http://odori2.jcdn.org/" target="_blank">「IIセカンド」</a>と称して、次の試みを始めている。3月4日、5日にアイホールで行われる伊丹公演を控え、ディレクターの水野立子氏に、IからIIへの移行と制作プロセスについて話を聞いた。<br />
<br />
<br />
<div id="attachment_7696" class="wp-caption aligncenter" style="width: 434px"><a href="http://www.danceplusmag.com/wp-content/uploads/2011/02/tweetflyB3-1104-2-011.jpg"><img src="http://www.danceplusmag.com/wp-content/uploads/2011/02/tweetflyB3-1104-2-011.jpg" alt="宣伝写真：大橋翔 デザイン：Marble co." title="tweetflyB3-1104-2-01" width="424" height="600" class="size-full wp-image-7696" /></a><p class="wp-caption-text">宣伝写真：大橋翔 デザイン：Marble co.</p></div><br />
<p>＋「IIセカンド」へのリニューアル、あるいはバージョンアップは、どのような状況を踏まえて、考えられたのですか。<br />
<br />
水野：IIでは、完成した作品を選ぶのでなく、作品づくりを支援します。創作をアーティストだけの責任とするのでなく、地域の劇場、主催者、製作者などが協力してサポートしてゆくことができないかと考えたからです。<br />
　数の上でも実感としても、「踊りに行くぜ！！」は「コンテンポラリーダンス」の日本での普及に一役買ったと、自負してはいます。一方で、危機感を感じていることもあって、一番わかりやすいのは、お客さんが減ったことですね。<br />
<br />
＋「コンテンポラリーダンス」の催し全般で、そうでした。なぜだと？<br />
<br />
水野：私なりに考えると、一つには「王様は裸だ」と言えるようになったのだと思います。初期のコンテンポラリーダンスは、難解でも理解すべきものだと思われていました。それが、全体量とともに質が伴わない作品も増えていった結果、化けの皮がはがれたのではないかと。正直言うと、初めて観に来て、「つまらないからもういい」って来なくなった人も多かった。これは関係者として、きちんと受けとめなければならなりません。では面白くするためにできることはと考えた時、創作からの支援をと。というのも、創作に関して、日本はかなり厳しい環境なんです。特にまだ有名でない人は、メンバーを集め、時間と場所をやりくりして練習をする。でもそれは他の仕事なりに細切れにされた時間であって、創作に十分な集中は確保されない。そうして作った作品を見て「面白くない」と言われちゃう。これでは育っていきようがない。<br />
<br />
＋コンテンポラリーダンスに突きつけられる「つまらない」の質、その前提となっているジャンルへの要求は何だろう、とも思います。サイトに<a href="http://odori2.jcdn.org/intro" target="_blank">「強度のある作品」</a>とありますが、水野さんが求めるものは？<br />
<br />
水野：ここ数年で急激に増えたと感じるのは、ブログに喩えられるような、私的な感想を並べただけ、あるいはテクニックで作ったダンスを継ぎ接ぎしたような作品です。伝えたいことが何も感じられない。私はそれを面白くないと呼ぶ。1人でやればいいと思うわけ。ダンスに限らず、作品であれば、「見せたい」というものがあって、それをあれこれ手をつくして世に問うわけでしょう。ダンサーと作家は違うということは前から言われてきましたが、自分個人の名においてこれを伝えたいという作家性のようなものが足りないのでは。内容は何でもいいんです。個人の視点を突き詰めた挙げ句に、ミクロの世界から大きな世界に突き抜けることもあるし。例えば今回、沖縄公演のアフタートークで、年輩の女性がタケヤアケミさんの作品に対して、「自分の姿を見ているようだった」と伝えてくれた。ああいう高度に抽象的な作品でも、見る人が見たら深いところに届く。それは、掘り下げが浅ければ起こりようがないと考えるんです。作家は、人の何倍もどんどん深く地下に掘っていかないと。最終的に言いたいことが出ないし、それがわからなければ共感のしようもないと思います。</p>
<br />
<div id="attachment_7729" class="wp-caption aligncenter" style="width: 617px"><a href="http://www.danceplusmag.com/wp-content/uploads/2011/02/IMG_17561.jpg"><img src="http://www.danceplusmag.com/wp-content/uploads/2011/02/IMG_17561-607x404.jpg" alt="福岡でのタケヤアケミ作品リハーサル　撮影：泉山朗土" title="IMG_1756" width="607" height="404" class="size-large wp-image-7729" /></a><p class="wp-caption-text">福岡でのタケヤアケミ作品リハーサル　撮影：泉山朗土</p></div><br />
<p>＋今回、創作支援を始めて数ヶ月ですが、その中で、具体的に見えてきたことはありますか。<br />
<br />
水野： まずこれまでと一番違うところは、未完成の作品にサポートをしてゆくところです。なので、作っている過程に口を出します（笑）。「スポンサーは金だけ出して口を出すな」と昔から言われていますが、口の出し様だと思います。自分の好きなように作品を変えさせるのはいけない。でも作家の意図が効果的に伝わっているのかのジャッジは有効だし、必要だと思います。白いカップを「赤く見せたい」んなら、「見えてないよ」と真実を言ってあげたほうがいいでしょう。その部分には口を出させてもらうと、最初に伝えています。これだけ時間とお金をかけて、彼等がやりたいように作品ができなければ仕方ないでしょう。<br />
　一方で、いい意味で無責任にならないといけないとも思いました。これまでは、よくも悪くも責任は主催者にある。完成した作品を「これは面白い作品んだよ」って持って行くプレゼンターでしたからね。IIは、環境を作り、稽古場、巡回公演ができる体制を作る。中身に関してはアーティストの責任でやってもらう。私も見ていないものを出すわけだから、つまんないと思われるかもしれないけど、でもそういうプロジェクトなんだということを、理解していただきたい。</p>
<br />
<div id="attachment_7730" class="wp-caption aligncenter" style="width: 610px"><a href="http://www.danceplusmag.com/wp-content/uploads/2011/02/a3956bdf2b6ddf99b9fff4192c5676071.jpg"><img src="http://www.danceplusmag.com/wp-content/uploads/2011/02/a3956bdf2b6ddf99b9fff4192c5676071.jpg" alt="村山華子作品 松山公演 撮影：senba" title="村山華子作品2松山公演撮影：senba" width="600" height="399" class="size-full wp-image-7730" /></a><p class="wp-caption-text">村山華子作品 松山公演 撮影：senba</p></div><p>　もう一つ、今回やって結果的にすごく良かったのは、ダンス・イン・レジデンスです。この言葉も流行らそうと思っているんですよ。恐らく3組とも東京の人たちで、カンパニーじゃないことも関係しているかと思いますが、普段はみんな別の仕事があって、平日だったら2、3時間、土日でも揃わない。まとまった創作の時間と場所もないんです。例えば村山華子さんは、12月に1週間和歌山県の上富田文化会館で滞在制作したのですが、彼女は美術から来ているので、道具や装置がたくさんある。衣裳、映像、道具、すべて自分で考えているんですね。それらを使っての稽古を、東京では電車でいちいち運ばなければならず、スペース的にも限界があったのですが、上富田では1週間でそれらを使っての舞台演出の試しが全部できたんですよ。そこはテクニカルスタッフがホールの職員で、皆クリエイションに積極的。一週間まるまるついてくれました。開催地にはなっていないけど、制作でこんな風に協力してもらえる場所がある。全国にもっと増えればと思います。また、上本竜平さんは、鳥の劇場で行ないました。&#8221;いんしゅう鹿野まちつくり協議会”っていうところが、空き家活性化で運営している民家に一週間滞在させてもらいました。鳥の劇場も創るっていうエネルギーがものすごくあるところ。滞在もできるし、劇場とスタジオがあるから集中できる。最後の日にショウイングをして、鳥の劇場の方々と街の人とも積極的な意見交換をすることができました。</p>
<div id="attachment_7732" class="wp-caption aligncenter" style="width: 610px"><a href="http://www.danceplusmag.com/wp-content/uploads/2011/02/e3fc7f2b9d75ad8cec34c7de75043e372.jpg"><img src="http://www.danceplusmag.com/wp-content/uploads/2011/02/e3fc7f2b9d75ad8cec34c7de75043e372.jpg" alt="上本竜平作品鳥取公演 撮影：鳥の劇場" title="上本竜平作品鳥の劇場公演2" width="600" height="400" class="size-full wp-image-7732" /></a><p class="wp-caption-text">上本竜平作品鳥取公演 撮影：鳥の劇場</p></div><br />
<p>＋これまでも、クリティカル・レスポンスや、昨年の「アーティストの主張」大会など、観客と作品をつなぐ言説のユニークな場を設けてきましたね。今年は？<br />
<br />
水野：公演の後、アフタートークでなく、「本音トーク」というのをやります。これまでのアーティストトークは素晴らしい作品を創ったアーティストの話を拝聴しましょう、作品について教えてください、っていう設定が多いですよね。そうじゃなくて、「どうだったの？　作家たち」っていう切り口です。作家も、どれくらい自分のやりたいことができたかが問われるし、お客さんにはどう観えたかということを聴く。すべてにおいて本音です。価値があるかどうかはわからないという状態でのトークをしたいな、と。鳥の劇場でやった後に、お客さんが「こういう場に参加できることが楽しい」って言ってくれたんです。<br />
<br />
＋コンテンポラリーダンスの催しが、価値の発見に参加する場だということが浸透してゆけばいいですね。ありがとうございました。</p>
<br />
<div id="attachment_7733" class="wp-caption aligncenter" style="width: 610px"><a href="http://www.danceplusmag.com/wp-content/uploads/2011/02/P11607362.JPG"><img src="http://www.danceplusmag.com/wp-content/uploads/2011/02/P11607362.JPG" alt="上本竜平作品鳥取公演終了後のアフタートーク　撮影：鳥の劇場" title="P1160736" width="600" height="450" class="size-full wp-image-7733" /></a><p class="wp-caption-text">上本竜平作品鳥取公演終了後のアフタートーク　撮影：鳥の劇場</p></div><br />
<br />
<p style="text-align: right;"><span style="font-size: x-small;"> （2月14日＠大阪）</span></p>
<br />
</p>
<blockquote><p>「踊りに行くぜ!! II」伊丹公演<br />
日時：2011年3月4日（金）～5日（土）<br />
会場： <a href="http://www.aihall.com/" target="_blank">伊丹アイホール</a><br />
URL：<a href=" http://odori2.jcdn.org/" target="_blank">「踊りに行くぜ!! II（セカンド）」</a><br />
<br />
A ダンスプロダクション・サポートプログラム<br />
<a href=" http://odori2.jcdn.org/artists/artist-uemoto<br />
" target="_blank">「終わりの予兆」</a> 作・演出・構成：上本竜平/AAPA　<br />
<a href=" http://odori2.jcdn.org/artists/artist-murayama " target="_blank">「カレイなる家族の食卓」</a> 作・構成・演出：村山華子<br />
B リージョナルダンス・クリエイションプログラム<br />
<a href=" http://odori2.jcdn.org/artists/artist-takeya " target="_blank">「SOSに関する小作品集：パート１」</a>作・構成・演出・振付・出演：タケヤアケミ<br />
地元作品<br />
<a href=" http://odori2.jcdn.org/artists/local#itami" target="_blank">「私たちは存在しない、ブルー」  </a>作・中西ちさと（ウミ下着）<br />
※5日（土）のみ終演後 アーティスト・トークあり<br />
</p></blockquote>
<p>
</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>ヤザキタケシ インタビュー -「Revival/ヤザキタケシ」を振返る-</title>
		<link>http://www.danceplusmag.com/c1/7464</link>
		<comments>http://www.danceplusmag.com/c1/7464#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 20 Jan 2011 23:09:35 +0000</pubDate>
		<dc:creator>kogo</dc:creator>
				<category><![CDATA[interview]]></category>
		<category><![CDATA[上念省三]]></category>

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		<description><![CDATA[上念省三　「revival」ということでしたけど、新作もあり、リバイバルばかりというわけではなかったわけですが、お疲れさまでした。まずは、終わっての感想を一言。

ヤザキタケシ　ありがとうございました。去年からで]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>
<p style="text-align: right;"><span style="font-size: x-medium;">聞き手・構成：上念省三</span></p>
<br />
<br />
<div id="attachment_7497" class="wp-caption aligncenter" style="width: 329px"><img src="http://www.danceplusmag.com/wp-content/uploads/2011/01/14861.JPG" alt="写真：阿部綾子" title="1486" width="319" height="480" class="size-full wp-image-7497" /><p class="wp-caption-text">写真：阿部綾子</p></div><br />
<br />
<p><strong>上念省三（以下J）</strong>　「revival」ということでしたけど、新作もあり、リバイバルばかりというわけではなかったわけですが、お疲れさまでした。まずは、終わっての感想を一言。<br />
<br />
<strong>ヤザキタケシ（以下Y）</strong>　ありがとうございました。去年からですから、やっと終わった、って感じですね。最初はたまたまDANCE BOX制作の横堀ふみさんに、「昔トリイホールでやった三本立てを、今この身体でやりたいと思ってる」ってぽろっと言ったことがきっかけなんですよ。そしたら、彼女がそれを企画として立ち上げて、dB（DANCE BOX）の中で話し合ってくれて、文化庁の助成を得て現実化したんです。<br />
<br />
<strong>J</strong>　トリイホールでの三本立てというと、1996年10月の『眠っていたい』ですね。「不条理の天使」は1995年12月初演、『GUYS』でかな。<br />
<br />
<strong>Y</strong>　そうですね。</p>
<br />
<div id="attachment_7510" class="wp-caption aligncenter" style="width: 574px"><a href="http://www.danceplusmag.com/wp-content/uploads/2011/01/682102485612b66b669733b2ac0fc9b2.jpg"><img src="http://www.danceplusmag.com/wp-content/uploads/2011/01/682102485612b66b669733b2ac0fc9b2.jpg" alt="『眠っていたい』" title="眠っていたい" width="319" height="480" class="size-full wp-image-7510" /></a><p class="wp-caption-text">『眠っていたい』</p></div><br />
<p><strong>J</strong>　 14年前の『眠っていたい』みたいなというと、最初は、3つの作品を全部自分で踊る公演を2日ほどという感じだったわけですか。<br />
<br />
<strong>Y</strong>　そういうことですね、とりあえず3つやりたい、というところから始めました。<br />
<br />
<strong>J</strong>　その3つは、最初から「スペース4.5」と「不条理の天使」と新作、と考えていたんですか？<br />
<br />
<strong>Y</strong>　いや、それは漠然と。どちらの作品も、自分にとっては転機となる作品だったと思います。</p>
<br />
<div id="attachment_7506" class="wp-caption aligncenter" style="width: 547px"><a href="http://www.danceplusmag.com/wp-content/uploads/2011/01/ea768f2acc5ab387e1a95c912ec84b79.jpg"><img src="http://www.danceplusmag.com/wp-content/uploads/2011/01/ea768f2acc5ab387e1a95c912ec84b79.jpg" alt="「不条理の天使」(初演）" title="不条理の天使（初演）" width="319" height="480" class="size-full wp-image-7506" /></a><p class="wp-caption-text">「不条理の天使」(初演）</p></div><br />
<p><strong>J</strong>　「不条理の天使」はもう一回やりたいと、言っていましたね。今から振り返るとね、「不条理の天使」のように、青年期の男、ヤザキタケシ自身のような人が、ちょっとおかしくなっていく作品って、いくつかありましたよね。「セキバク」などもそうじゃないかと思うんですが。<br />
<br />
<strong>Y</strong>　そうですね。一見パラノイア的な感覚って、ありますね。上念さんが以前一度書いてくれたことがありましたよね。</p>
<br />
<div id="attachment_7507" class="wp-caption aligncenter" style="width: 547px"><a href="http://www.danceplusmag.com/wp-content/uploads/2011/01/ce51d6f6a37f619c4634418fd4c8a7521.jpg"><img src="http://www.danceplusmag.com/wp-content/uploads/2011/01/ce51d6f6a37f619c4634418fd4c8a7521.jpg" alt="「セキバク」" title="セキバク" width="319" height="480" class="size-full wp-image-7507" /></a><p class="wp-caption-text">「セキバク」</p></div><br />
<p><strong>J</strong>　そうでしたね。「セキバク」については、作品コメントでも「人は悲しみが、寂しさが、極限までいってしまうと強烈なまでに残酷になってしまうものなのか。それとも神仏のように優しくなれるものなのか？」と書いていますね。そういう極限、極端さへの方向性というようなものが&#8217;90年代の後半にあったようで、そのあと、自分とか一人の人間がどういうふうになっていくかというようなこだわりから、少し脱していくような展開があったように思います。ちょうど今回の3つの作品を並べたときに、まずすごく自分のことをこだわり語っているような印象のある「不条理」があったわけですね。次に、久しぶりに「スペース4.5」を観て、案外抽象的な作品のように思えて、結構面白かったんですね。そして最後の「ミューザー（沈思者）」があって、ちょうど以前の2つの作品はエポックになるような作品だったのかなと思えました。改めて以前の作品をやってみて、自分自身の変化を感じられましたか。<br />
<br />
<strong>Y</strong>　そうですね…昔の多感な頃にー今も多感なんですけど（笑）—すごく世の中が嫌い、人間嫌いなときがありまして。「不条理の天使」などは、創ったときはそうでもなかったんですけど、子供の時から、どうせ死ぬのになぜ生まれてこなければいけないんだろうとか、食べたら出すみたいな繰り返しだけの日常というものに不満というか疑問、矛盾を感じていて、そういうことを作品にしたというところはありますね。この世で死ぬために生まれてきている、不条理だ、…常にそういう気持ちがあったんですね。そういう思いが溜まりに溜まって、それを吐き出していったのが初期の作品で。けっこうね、死んでいく作品が多いんですよ。「レクイエム」もそうですし。<br />
　それで、今それをやるとどうだって言われると、今のぼくは全くそういう感じではなくて。今は一つ一つの物事に対して真摯に、愛情を込めて接する事を大事にしたいなーと思ってますね、意外にも…へへ。<br />
<br />
<strong>J</strong>　改めて、若い時期のメランコリー、憂鬱が、またこの、初老の？<br />
<br />
<strong>Y</strong>　（笑）現実にはね。<br />
<br />
<strong>J</strong>　初老の憂鬱にね、重なるというか、透けて見えるというか。<br />
<br />
<strong>Y</strong>　逆にリアルみたいな感じですかね。<br />
<br />
<strong>J</strong>　ええ。いろんなことをギャアギャアとやってきて、ふとわれに返ってみたいなソロがあって、そしていよいよ…絞首台じゃないけど、自分でだか他人からだかわからないけど、首に縄かけられるんだか自分でかけるんだか、結局同じことだ、とか思っちゃいます。<br />
<br />
<strong>Y</strong>　とにかく今はやれる事をやりきって、後は天命を待つ…みたいな。いつ死んでもいいような前向きに生きたいとは思ってますね。</p>
<br />
<div id="attachment_7509" class="wp-caption aligncenter" style="width: 565px"><a href="http://www.danceplusmag.com/wp-content/uploads/2011/01/56552238da2f2016c9c317310c4c9ff22.jpg"><img src="http://www.danceplusmag.com/wp-content/uploads/2011/01/56552238da2f2016c9c317310c4c9ff22.jpg" alt="「セキバク」" title="セキバク（田村博子と)" width="319" height="480" class="size-full wp-image-7509" /></a><p class="wp-caption-text">「セキバク」</p></div><br />
<p><strong>J</strong>　やっぱりね、名作にはそういう長い寿命があるんですよ。<br />
<br />
<strong>Y</strong>　たまたまですよ。作り方など、今から考えれば雑でしたよ。だから巡り合わせもあったんでしょうね。ちょっと気になるんですが現代でも通用すると思われましたか。<br />
<br />
<strong>J</strong>　ええ、コメントの「今回は自分でどう受け止めるかが課題になりそうです」というのを読んで、当時の死生観、考えてみたら若い青い死生観かもしれないけど、そんなに変わるもんじゃないでしょう？　まぁ、当時希望に満ちていたというなら、変わるかも知れないけど。<br />
<br />
<strong>Y</strong>　当時も今もそんなに希望をもってる訳ではないのですが、希望や夢をなくしてまで生きるのは酷過ぎるでしょ。だから今は敢えて夢や希望を持とうとしてますよ…劇場を建てるとかね(笑)。</p>
<br />
<div id="attachment_7513" class="wp-caption aligncenter" style="width: 617px"><a href="http://www.danceplusmag.com/wp-content/uploads/2011/01/e5a3ef4100515823104d6120e1b8e3211.jpg"><img src="http://www.danceplusmag.com/wp-content/uploads/2011/01/e5a3ef4100515823104d6120e1b8e3211-607x419.jpg" alt="「スペース4.5」" title="スペース4.5 ゲネ" width="607" height="419" class="size-large wp-image-7513" /></a><p class="wp-caption-text">「スペース4.5」</p></div><br />
<p><strong>J</strong>　そもそも｢スペース4.5｣、四畳半というものに注目することができたのは、日本の空間というものを発見する、というようなことがあったんですか？<br />
<br />
<strong>Y</strong>　創作のきっかけはフランスの振付家、ミシェル・ケレメニスでした。彼が、スーザン・バージのMATOMAで踊っているぼくに目をつけてくれたようで、京都でぼくがワークショップを受けたら、｢君、モンペリエのフェスで踊ってたでしょ、覚えてるよ｣って言ってくれたんですね。ぼくがずうずうしくも｢ソロの作品があるから見てくれ｣って見せたら興味を持ってくれて、次の年に京都へ来た時、新しい公演のための、ソロの作品を創ってくれないかってことになったんです。ヴィンセント・セクワティ・マントソーとミシェルとぼくで、それぞれのソロを創ろう、と。それで今までの自分を振り返ってみようと。<br />
<br />
<strong>J</strong>　すごいですね。自分のこれまでを振り返るときに、四畳半という限定された空間が出てきたというのは、面白いですね。<br />
<br />
<strong>Y</strong>　ぼくは転校生だったということもあって、結構部屋の中の一人遊びが好きだったんですね。小学校のときから四畳半でしたけど、大学時代も四畳半でしたし、その記憶が鮮明に出てきて。<br />
<br />
<strong>J</strong>　最初にテープで空間を作っていくのも、ちょっと儀式的な神事みたいな、お払いとかお清めみたいな感じもしました。<br />
<br />
<strong>Y</strong>　そうですね。今までぼくを育ててくれた空間を、神聖なものとして扱おうと。</p>
<br />
<div id="attachment_7492" class="wp-caption aligncenter" style="width: 617px"><img src="http://www.danceplusmag.com/wp-content/uploads/2011/01/1814-607x403.jpg" alt="写真：阿部綾子" title="1814" width="607" height="403" class="size-large wp-image-7492" /><p class="wp-caption-text">写真：阿部綾子</p></div><br />
<p><strong>J</strong>　その作品を、今回若い女性が踊ったわけですが、実際のところあまり振り付けてないとか聞いていたし、舞台を観ても、2人ともヤザキさんのとは全然違うし、イム・ジョンミと西岡樹里のとでも全然違ったわけですが、どういう指示というかサジェスチョンで、こういう作品づくりになったんですか。<br />
<br />
<strong>Y</strong>　ぼくがあんまり指定すると、ぼくの世界観になってしまうでしょ。ソロは自分から出てきたものをやらないと、嘘っぽく、借り物になってしまうんですよ。特に｢スペース4.5｣は曲が決まってるわけじゃないので、自分で時間を練り上げていくっていう作業をしないといけない。だから借り物になることが怖くて、それで自分の部屋、まずどういう部屋を作りたいか、というようなお話をさせてもらって、何を使うか、どうやって貼るか、そういう問いかけから始まりました。ぼくは口を出したいけど、どうやって口を出さないかっていうのがテーマでした。一応作品なので、作品が怪我しないように、くらいは加減しました。むちゃくちゃにして面白ければいいんですけど、思い込みでへんな方向に行かないように見守るぐらいの感じでいようと思って。<br />
<br />
<strong>J</strong>　途中で何回も見たりはしたんでしょ？<br />
<br />
<strong>Y</strong>　もちろん。ずーっと付き合ってはいたんですけど、それぞれに任せました。振りを作ると、ぼくの満足するクオリティにとか考えると何年もかかるわけで、ぼくの生徒でもパッと来てすぐに踊れる人なんかいないので、それは絶対やめておこうと思いましたね。自分の持っているスキルは全部出してくれ、ということで、やりましたね。</p>
<br />
<div id="attachment_7501" class="wp-caption aligncenter" style="width: 329px"><a href="http://www.danceplusmag.com/wp-content/uploads/2011/01/1932.JPG"><img src="http://www.danceplusmag.com/wp-content/uploads/2011/01/1932.JPG" alt="写真：阿部綾子" title="1932" width="319" height="480" class="size-full wp-image-7501" /></a><p class="wp-caption-text">写真：阿部綾子</p></div><br />
<p><strong>J</strong>　「ミューザー（沈思者）」は、佐藤健大郎さんとでした。　<br />
<br />
<strong>Y</strong>　「ミューザー（沈思者）」は、最初ぼくが勝手にイメージしてたんですが、ずーっとコンテンポラリーをやっていると、曲をBGM的に使ったりして、曲にイメージ合わせたり、曲に合わせて踊るって事からずーと離れてました、無音とかもそうですが、ノイズとかそういうのばかりじゃないですか。それはそれでイメージが限定されなくて面白い面もたくさんありますよ。そんな中で、ストリートとかヒップホップの連中と仕事することがあって、すると、音にポンポンとはめていくでしょ。昔そういう感覚でジャズダンスをやってたな、と思って。2年ぐらい前から、全部音にはめて動きを作ったり、逆に音を作ってみたら・・・、みたいなことは時々言ってたんですよ。この企画以前にね。それを実現しようとして、音を楽しむ作品にしたかったんです。佐藤健大郎くんと練習している時は、最初はぼくが動きも全部作ったんです。日常的な動きの中から作ってしまって、それからお互いが前で見ながら、ちょっと動いては「ゴーン」とか言いながら、それが結構面白くて。お互いやりあいながら、言いあいながら、そこから音を決めて。決めるっていうか、遊んでいたんです。<br />
<br />
<strong>J</strong>　遊びながらはめ込んでいく感じですか。<br />
<br />
<strong>Y</strong>　そうですね。それで音響の黒田治さんに見てもらって、こんな感じで作ってるんやけど、好きなように音は作ってよ、って感じで。<br />
<br />
<strong>J</strong>　次にその音に当てはめて動く、みたいな。<br />
<br />
<strong>Y</strong>　そう。<br />
<br />
<strong>J</strong>　健大郎くんは、その音からちょっとずらしてみるとか、いろいろやってみたって言ってました。<br />
<br />
<strong>Y</strong>　ちょっと私とはシチュエーションも変わったんで。自分が用意した音をかけてるってことにしていたじゃないですか。だから逆にずれても全然おかしくない。<br />
<br />
<strong>J</strong>　ああ、そうかそうか。<br />
<br />
<strong>Y</strong>　練習してて、ああ、ずれた、みたいな感じで面白い。最初はね、スタッフ見せまで、全く無音で同じことを動いて、2回目で音を入れよう、ってやってたんですけど、一回目で観てる人それぞれに音を想像してもらって、2回目には我らなりの答えを出す、みたいな。あんまり面白くないっていうんで、それで健大郎が思いついて、練習でしていたことを1回やってみたんですよ。それが面白かった。それで、それをぼくもやるわってことになった。</p>
<br />
<div id="attachment_7499" class="wp-caption aligncenter" style="width: 329px"><img src="http://www.danceplusmag.com/wp-content/uploads/2011/01/1913.JPG" alt="写真：阿部綾子" title="1913" width="319" height="480" class="size-full wp-image-7499" /><p class="wp-caption-text">写真：阿部綾子</p></div><br />
<p><strong>J</strong>　健大郎くんは後ろ向いてやり、ヤザキさんは前を向いてっていうのは、それぞれの持ち味ですか？<br />
<br />
<strong>Y</strong>　そうですね、健大郎が最初ああいうふうに始めたんです（観てない人ごめんなさあい）。一緒だと面白くないんで、ぼくは鴨川の向こうにオッサンがいて、体操してるのに合わせて、ぼくがこっちからアテレコしてるふうにやってみようかと(笑)。なのに、知らない間に自分もそれに導かれるようにやってしまう、という設定です。<br />
<br />
<strong>J</strong>　それは、知らなかった。<br />
<br />
<strong>Y</strong>　遠くで何か動いてる人に対して、こっちで面白おかしくアテレコするというアイディアは、最初にあったんですよ。<br />
<br />
<strong>J</strong>　へぇー。<br />
<br />
<strong>Y</strong>　ほんと、ギリギリまでやってました。劇場入ってからですね。後半の部分、ぼくが構成全然できてなくて、見てもらううちにああいう形になっていったんです。無音でやりたかったんですけど、どうしてもうまくできなくて。</p>
<br />
<div id="attachment_7494" class="wp-caption aligncenter" style="width: 617px"><img src="http://www.danceplusmag.com/wp-content/uploads/2011/01/14791-607x403.jpg" alt="写真：阿部綾子" title="1479" width="607" height="403" class="size-large wp-image-7494" /><p class="wp-caption-text">写真：阿部綾子</p></div><br />
<p><strong>J</strong>　ヤザキさんの作品にあるエンタテインメント性というか、観客を面白がらせるところって、自分をさらけ出すとか、ちょっとみっともないところを見せたりするところから来ていますよね。<br />
<br />
<strong>Y</strong>　ちょっとやりすぎるきらいがあるので、それはいつも釘を刺されています。森山未來くんにも言われました(笑)。<br />
<br />
<strong>J</strong>　なんて言われたんですか？<br />
<br />
<strong>Y</strong>　一日目の「ミューザー（沈思者）」について。ちょっとぼくが調子に乗って、お客さんとやり取りしてしまったんですよ。それが成立してしまってるところが、なんていうか、悔しいというか。でもね…ちょっと違うかなって(笑)。<br />
<br />
<strong>J</strong>　うまいこと言われたわけですね。<br />
<br />
<strong>Y</strong>　そう。ぼくとしてもそこらへんは、まあ、ほどほどに、あんまりライブ感覚だけでやらないように、作品としてきっちり考えていかないと。｢不条理の天使｣に関しては、サービス精神でやりきって、違うところへズドンと落としたいので、意識して徹底的にエンタメにするんですよ。<br />
<br />
<strong>J</strong>　最後があるからね。<br />
<br />
<strong>Y</strong>　作品のバランスとして。エンタテインメントについては、ほっとくとやりすぎるきらいがあるので、自分を制御しないといけない、という感覚はあります。それが作品をつぶしてしまわないように、と。<br />
<br />
<strong>J</strong>　まあ、何をもって観る人をエンタテインするかということになると、笑わせるだけじゃないからね。<br />
<br />
<strong>Y</strong>　｢スペース4.5｣については、引き込んで、覗き込んでくれ、って思います。<br />
<br />
<strong>J</strong>　客いじりとかするのじゃなくて、一緒に空間にいる感覚というのかな。<br />
<br />
<strong>Y</strong>　節穴から、覗いてください。でも、覗いてもらうために、仕掛けとかは必要なんですよ。<br />
<br />
<strong>J</strong>　儀式みたいなものとかね。何をしてるのかな、何が始めるのかな、と思わせて、一気に入り込ませてますよね。</p>
<br />
<div id="attachment_7498" class="wp-caption aligncenter" style="width: 329px"><img src="http://www.danceplusmag.com/wp-content/uploads/2011/01/1883.JPG" alt="写真：阿部綾子" title="1883" width="319" height="480" class="size-full wp-image-7498" /><p class="wp-caption-text">写真：阿部綾子</p></div><br />
<p><strong>J</strong>　ところで、3つ続けて踊るのは、しんどくなかったですか？　愚問？<br />
<br />
<strong>Y</strong>　(笑)爽快でした。｢スペース4.5｣を出し惜しみなくやりきって、大丈夫だったんで、「あ、いけるわ」と思いました。<br />
<br />
<strong>J</strong>　ぼくらも観ていて、気持ちよかったよー。<br />
<br />
<strong>Y</strong>　あ、そうですか。小学生が観ていて、面白いって言ってくれました。｢4.5｣がよかったって。<br />
<br />
<strong>J</strong>　へえー、通ですね。<br />
<br />
<strong>Y</strong>　マニアックな子です。<br />
<br />
<strong>J</strong>　何かが伝わるんですね。どんなものが伝わっているんだと思います？<br />
<br />
<strong>Y</strong>　ぼくはもう、単純に言ったら、エネルギー。コンセプトを見せてもしょうがないし、かといって全くないと作品としてなりたたないのですが、身体を使う以上、何かエネルギーを放出して、そういうものが共鳴する空間として、舞台があって、そのライブ感覚があるんだと思います。<br />
<br />
<strong>J</strong>　そうですよね。言葉とかメロディとかそういう媒介全くなしに、なんやわからないものがバッと来るということだから。<br />
<br />
<strong>Y</strong>　エネルギーの共鳴。<br />
<br />
<strong>J</strong>　それが小学生に、それこそドーンって。<br />
<br />
<strong>Y</strong>　そう、ドーン。それしかできないですもん。そういうことにまた改めて気づいて、「エネルギーを常に高めとかなあかんな」って。</p>
<br />
<br />
■ 『眠っていたい』　1996年10月14日　TORII HALL　「プロローグ」、「レクイエム~中原中也「秋」より」（&#8217;94年10月初演）、「不条理の天使」、「フィッシュダンス」（’94年2月初演）　ダンサー＝ヤザキタケシ、進千穂（フィッシュダンスのみ）<br />
<br />
■「セキバク」　1997年10月20日『舞踊と殺陣の融合』（TORII HALL）で初演。振付・構成＝ヤザキタケシ、出演＝田村博子、大北桃子、雲隠竹蔵<br />
<br />
■ ｢スペース4.5｣初演　『ギフト～身体からの贈り物』Program C『同時通訳／Traduction Simultanee』　ミシェル･ケレメニス「谷に眠れる人」、ヴィンセント・セクワティ・マントソー「ホクワネ」と併演。1999年6月、京都市国際交流会館イベントホール、第9回芸術祭典･京(1999)<br />
<br />
■ 『エスパス～お茶の間』　1999年11月　TORII HALL　出演＝Mr.ヨギィ、広田修生、松本芽紅見、黒子さなえ、裴香子、藤野直美、木村陽子、塚本晴之、サイトウマコト、デカルコ・マリー、ヤザキタケシ<br />
<br />
<br />
<br />
</p>
<blockquote><p><span style="font-size: small;"><strong><span style="font-size: small;"> ヤザキタケシ</span></strong>　（やざき・たけし）<br />
寅年生まれ。20歳からダンスを始める。ジャズダンス、モダンダンス、クラシックバレエなどのダンスをはじめる。1984年バナナホール（大阪）で本格的に舞台デビューを果たす。1997年より自らのカンパニー＜ADCアローダンスコミュニケーション＞を主宰し、人が生きて行く事の普遍性をテーマに、フィジカル・シニカル・コミカルに創作を試みている。1999年「スペースシリーズ」がフランスで話題となり、海外からの招待公演多数。他国内外を問わず、ミュージカルの振付、バレエ団への振付・出演、俳優としても活躍中。近畿大学文芸学部非常勤講師</span></p></blockquote>
<p>
<br />
</p>
<blockquote><p><span style="font-size: small;"><strong><span style="font-size: small;"> 上念省三</span></strong>（じょうねん・しょうぞう）　<br />
ダンス批評。1959年兵庫県生まれ、神戸在住。1991年ごろから批評活動を始め、「JAMCi」、「劇の宇宙」、「PAN PRESS」「明倫art」、「BALLET」、「DANCEART」、「京都新聞」、「イマージュ」などに公演評を寄稿。京都芸術センター運営委員、国民文化祭・京都2011「洋舞フェスティバル」企画委員長、神戸学院大学・近畿大学非常勤講師。古典から現代、宝塚歌劇から小劇場演劇、あらゆる身体表現、を隣接諸ジャンルと照らし合わせつつ、現在と存在に相渉りながら論じていきたい。</span></p></blockquote>
<p>
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
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		<title>山田せつ子×三浦基 対談</title>
		<link>http://www.danceplusmag.com/c1/7151</link>
		<comments>http://www.danceplusmag.com/c1/7151#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 04 Oct 2010 08:30:00 +0000</pubDate>
		<dc:creator>kogo</dc:creator>
				<category><![CDATA[interview]]></category>

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		<description><![CDATA[「言葉と身体」。現代演劇やコンテンポラリーダンスでしばしば耳にされるキーワード。でも作家が何を問題としているのか、その内実は千差万別です。同じ問題にダンスと演劇の側からそれぞれ取り組み、『誰も、何も、ど]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>
「言葉と身体」。現代演劇やコンテンポラリーダンスでしばしば耳にされるキーワード。でも作家が何を問題としているのか、その内実は千差万別です。同じ問題にダンスと演劇の側からそれぞれ取り組み、<a href="http://www.kac.or.jp/bi/297" target="_blank">『誰も、何も、どんなに巧みな物語も』</a>を作った山田せつ子氏と三浦基氏に、今秋の公演を間近に控えてその試みについて語ってもらいました。<br />
<br />
<p style="text-align: right;"><span style="font-size: x-medium;"> 協力：舞台芸術研究センター</span></p>
<br />
<img src="http://www.danceplusmag.com/wp-content/uploads/2010/10/86b3420c0f8884d465f81779781a0b391.jpg" alt="薔薇色-京都_初02" title="薔薇色-京都_初02" width="206" height="279" class="alignleft size-full wp-image-7206" /><img src="http://www.danceplusmag.com/wp-content/uploads/2010/10/artaud-chirashi1.jpg" alt="artaud-chirashi" title="artaud-chirashi" width="198" height="277" class="alignright size-full wp-image-7207" /></p>
<blockquote><p>『薔薇色の服で』<br />
日時：2010年10月8日（金）～9日（土）<br />
会場：<a href="http://www.k-pac.org/access.html" target="_blank">Studio21</a><br />
URL：<a href="http://www.k-pac.org/performance/20101008.html" target="_blank">京都芸術劇場 </a><br />
<br />
『――ところでアルトーさん、』<br />
日時：2010年11月3日（水）～7日（日）<br />
会場： <a href=" http://www.kac.or.jp/access" target="_blank">京都芸術センター</a><br />
URL：<a href=" http://chiten.org/next/" target="_blank">地点 </a></p></blockquote>
<p>
<br />
<br />
◆「同調」してしまって「困る」<br />
<br />
山田：私は以前から、ダンスに言葉が介入してくることで生じる“晒される身体”といったものに興味を持っていました。そして、舞台芸術の領域で言葉と真直ぐ向き合いながら、その可能性/不可能性を探しているのが三浦さんではないかと思っていた。この3月に地点と仕事をし、その時は共同作業も考えたのですが、三浦さんの演出に出演する形に決めました。<br />
<br />
三浦：そこはもめてますけどね。演出、ドラマトゥルク、出演などの領域がボーダレスになることをみな夢見てる。最終的な落としどころは、コラボレーション、それだって誰それの演出という風に、簡単には割り切れない。このジュネの作品は今後も展開してゆくわけですが、山田さんとの作業の途上で、まさにそういう体験をしているのかなと思っています。<br />
　山田さんとの作業を通して、僕はダンスって何だっけと考えさせられる。そこが常日頃考えている、演劇って何だっけというところと通じるのかも。現状でそこだけは一致しています。その時、山田さんがおっしゃった「ダンスに言葉が介入する…」というのは、主題としては真剣でもっともらしいんだけど、そう簡単にはいかないという実感です。まず具体的に、今回言葉をどのように使うんですか。<br />
<br />
山田：自分で発語する箇所と、言葉が録音で流れている中で踊る箇所があります。目下、声あるいは言葉を身体から剥がす術を探して日々奮闘中です。それは主に自分で話す箇所で、どうしても体と一つになってしまうところがあって、居心地が悪いので。<br />
<br />
三浦：自分で喋ると同調してしまうということですね。<br />
<br />
山田：そう。踊りの際は知覚が働いていて身体が動くわけですが、そのときに発語と身体の動きがひとつになってしまったら駄目だと。何か知覚の断絶があってしかるべきだと感じるんです。なので、俳優が発語している時、身体と意識の関係がどうなっているのかも気になるのですが、くっついていて違和感がないのでしょうか。<br />
<br />
三浦：それは演劇の領域に置き換えると歴史的な問題で、僕には「ストレートプレイになっちゃう、困った」と聞こえる。というのも、リアリズムでもナチュラリズムでもいいのですが、一般的なストレートプレイでは、役と俳優が同調しているように見えれば上手いとされている。そこでは今言われたようなことは全く問題にならないんです。ただし、現代演劇にはベケットという興味深い例があります。『わたしじゃない』など、「喋っているのは私じゃない」と、べらべら喋りながら自身を否定してゆく登場人物しかいない。そのとき身体はどうなっていくのかというと、殺していく、なくしていくんですね。登場人物として目に見えるのは「口」だけで、身体は見ないでくださいとなる。<br />
　地点の試みもまた、振返ってみれば、言葉と体というものをベケット的に探求してきたという気がします。その時やっぱり体は動かさず、固定することで殺して、なくしていった。でもなくなるわけがなく、観客には見えている。するとナチュラリズムの演技や日常の動作とは違うところで、俳優が体を扱っているのが微細なレベルで見えるんじゃないだろうか。よく言えばそういうこと。意地悪な言い方をすると幻想、妄想。「動いてないだけじゃん」と。いずれにせよ、地点の安部聡子にはそういう体が染み付いています。<br />
　で、山田さんも違う方向からこの問題に取り組んでおられる。自分で喋る箇所では、体はどうされていますか。動く、動かない？<br />
<br />
山田：動きます。手が動いて手話的になってしまったりしますね。今回のように特にテクストを用いないときでも、踊っている時は、人には聞こえない言葉を内包して踊っているところが私にはある。それを口に出していない時はまだいいのですが、出した瞬間、言葉の持つ強い力—意味性など―に体のほうがかすめ取られて行く。それが手話に見えてきてしんどいところです。<br />
<br />
三浦：説明的になってしまうということ？　なら、自分がやってきた手法で考えれば、動かないほうが得です（笑）。勿論、言動不一致に、つまり全く関係ない動きをやるという選択肢はあるけど、「今喋ってるから体は黙ってて」という感覚が自然なのかなと。でもそれだとなかなか先に進めなくなるんですよね。「言葉と身体」とはよく一緒に立てられるモチーフだけど、両者を切り離して考えて、喋ってる時は動かないほうがいい、つまり、喋ってない時に内包された言葉―思考と言っていいかと思うんだけど―によって動く体と発語を分離しなくてはということになったら残念だ。そう思って、山田さんと作業をしてるんだと思う。<br />
<br />
<br />
◆「ダンス的な」言語との関わり方<br />
<br />
山田：そもそも私は、日常で人に話すと決断したものや、舞台で語られることを前提に書かれた台詞と違う、言語性に関心を持っています。今こうしてしゃべっている間にも、頭の隅では物凄い速さで別のことが流れていき、それは口で話しているもっと先のことだったりする。そういった語られない、語り得ないような速度を持った、分裂的な言語が体の中に波打っていて、「ちょっと黙っててよ」と言っても黙ってくれない。それが私にとってすごくダンス的なことなんです。<br />
　大学で演劇をやりながら演劇の道に行かなかった理由もそこにあります。同時多発的並行的な言葉の中から「これを言うんだ」と集約できない。しようとすると体が震えたり貧乏揺すりになったりといった方向に身体が作動する。そんな風にして自分の中で封印してしまった自分の中の言語性を、長い年月を経て、今は踊りという仕方で見つけようとしてるんでしょうね。<br />
<br />
三浦：そうなるとテクストの選択にも納得がゆきますね。ちょっと微妙なところはあるけれどジュネに、今回はウルフ。僕が今やっているアルトーもそうで、旧来の演劇の定型「～は～である」という表現は絶対に使わない。一つの定義されたことを次の段落どころか同じ行内で「ところで、ところで」って変換してっちゃう。今の話で言えば「ダンス的な文体」ということになると思うんです。そういうテキストには僕も興味がある。新たな舞台に上がるためのテキストなのかなと。その時問題となるのは、一つは自身の関心と一致するテクストとどう距離をとるか。もう一つはそれを口に出して喋る必要がどこにあるのか。ちょっとでも発語するとその世界が瓦解しますからね。<br />
　距離のとり方についてはどうなんでしょう。例えば今、稽古でアルトーの言葉しゃべってると、俳優と「頭おかしい人だね」ってなる。どんなに正常に説得力を持ってしゃべっても、言葉自体が「ああ、ふれてるわ。何かがふれちゃってるわ」と。そのときに本気で気がふれて演じるっていうのが、60・70年代のアルトーブームのやり方だったのだろう。では今、アルトーとの距離感をどうやったら示せるかっていうのが、僕の課題なんです。山田さんはどうですか？ウルフの『波』は一般的な言葉を超えていて、ある種思想性がある。それを体はさらに拒否したいはずなのに、体への興味といった点で似ている。その似ている部分にどうやって離反していくのか―離反しなきゃストレートプレイになりますからね。<br />
<br />
<br />
◆どう距離をとるのか<br />
<br />
山田：この作品ではテクストの『波』自体は私が発語するのではなく、この作品のテクスト構成をされた宇野さんの声で録音が流れて来ます。このシーンでは、私は聴くダンスをします。言葉を聴くということでどういうダンスができるのかということをやってみたかったので。<br />
<br />
三浦：それはどちらかというと同調していますよね。音楽と同じで。今、距離を置こうとしてるわけではないんですか。<br />
<br />
山田：距離を置くっていうことが聴くっていうことなんですよ。<br />
<br />
三浦：動かないということ？<br />
<br />
山田：ほぼね。宇野さんの朗読の中に圧倒的な声の身体性があるわけですよね。そうしたときに、声と一緒になって動くということはあり得ないだろう。一つの身体というものが舞台上に出てきたときに、それとデュオするっていうことはどういうことなのか。そのデュオの仕方はどう考えるか。じゃあ聴く、っていうダンスをどう踊れるか。単純に動かないってことじゃないやり方を模索中です。<br />
<br />
三浦：では喋るテクストは？<br />
<br />
山田：ウルフのも入ってくるけど、宇野さんの言葉ですね。ジュネの創作時の最初の「声が出ません」みたいな。それがまたものすごく難しい。<br />
<br />
三浦：それは批評的な言葉をしゃべるということですね。編集された。<br />
<br />
山田：そうです。<br />
<br />
<br />
◆なぜ発語するのか<br />
<br />
三浦：すると、一人の作家の一元的な言葉を喋ったり、時に録音で流したりといったことをイメージしていたのですが、かなり違いますね。何故喋るのかという問いは、ウルフのような分裂したテクストを敢えて発語するなら、声の力、意味の力で定義されてしまうのをどうするか、ということだったのですが。そのときに何故ダンスはしゃべるんだ、なぜ音楽じゃだめなんだということになる。背景に流れている意味のリズムや雰囲気、録音から流れている声や音楽が従来の舞台での時間の流し方だったはずなのに、なぜダンサーが話し出したのか。例えばピナ・バウシュの場合は、難しいことを言うんじゃなくて、最もわかりやすい言葉でしたよね。コントみたいなことを挟んで、まず音楽に同調するようなことは防いだ。次のステップとして、なぜわざわざ言葉を言わなあかんのかということですよね。そのなぜというところは難しい、僕の課題でもあるんですが。山田さんは、この期に及んでなんで喋るんですか（笑）。<br />
<br />
山田：ねえ（笑）。音楽を離れるということと、体をもう一度告発するといったことに関わってくるのかと思います。<br />
　とても長く踊って、しかもソロを中心にやってくると、音楽が圧倒的な演出力を持っている。クラシックでもJPOPでも民俗音楽でもね。最近ではそこに対する抵抗から向かったノイズにさえ飽きてきた。音に孕まれるイメージから時間と空間すらも作りだされることでいいのかい、と。10年前、太田省吾さんと呑んでいたときに言われた「ダンスにとって音楽って何だい？」という一言も影響しています。「そうですねえ、音楽で演出してますよね」って、それを自分の課題として受けとってしまったんですよね。それに対してどうしたらいいかわからないという時に、言葉に向かった。それもどのように声が出るのかということに。昔から声を出して踊る稽古はしていました。例えば野菜の名前、都市の名前を言い続けたり、呼吸音を出しながら動くとかね。ただそれは、自分の体を異化していく作業ではあったけど、最終的には自分を追い込むことにはならなくて、楽しんでしまう。<br />
　ではなんで追い込まなきゃならないのかというと、身体の知覚が慣れて鈍って来るからなんです。慣れないことをやったときに、自分の知覚の扉を開けるみたいなことがあって、発見がある。その連続で私は踊りつづけてきた。つまり、訓練してダンサーになった人間じゃなく、身体にまつわる自分の興味でなったダンサーだから、興味のポジションがないと踊れない。そういうことだと思います。<br />
　今、稽古のぎりぎりの状態で、意味を持った言葉を喋った時のやられ方の凄まじさに手をつけてしまって、「やばいな」と思っています。でも最終的にそこしかなかったという感じもある。私の創作を長く知っている人ほど、「言葉？しかも喋るの？」と抵抗があるようですが、大変ながらも「じゃあやめよう」って気にならない私って何なんだろう。もう一回身体の裂け目みたいなものがあるような気がしているのかもしれませんね。<br />
<br />
<p style="text-align: right;"><span style="font-size: x-medium;"> （2010年9月28日）</span></p>
<br />
</p>
<blockquote><p><span style="font-size: small;"><img src="http://www.danceplusmag.com/wp-content/uploads/2010/10/be0d831d315fe88b3864a76fe5e0c56d1.jpg" alt="山田せつ子写真" title="山田せつ子写真" width="201" height="195" class="alignleft size-full wp-image-7190" /><strong><span style="font-size: small;">山田せつ子</span></strong>（やまだ・せつこ）<br />
明治大學演劇学科在学中、笠井叡の主宰する舞踏研究所「天使館」に入館。独立後ソロダンスを中心に独自のダンスの世界を展開し、国内外での公演も多数行い、日本のコンテンポラリーダンスのさきがけとなる。89年よりダンスカンパニー枇杷系を主宰、『翔ぶ娘』『愛情十八番』などの作品を発表。00年より京都造形芸術大学映像・舞台学科教授として8年間ダンスの授業を持ち09年より客員教授。最近の作品『奇妙な孤独』『ふたり いて』など。ダンス・演劇などのジャンルを超えて新しい作品創りを始めている。著書『速度ノ花』（五柳書院）</span></p></blockquote>
<p>
</p>
<blockquote><p><img src="http://www.danceplusmag.com/wp-content/uploads/2010/10/085541.JPG" alt="08554" title="08554" width="200" height="197" class="alignleft size-full wp-image-7189" /><span style="font-size: small;"><br />
<strong><span style="font-size: small;">三浦基</span></strong>（みうら・もとい）<br />
演出家。劇団「地点」代表。2006年、『るつぼ』（作：A・ミラー）にてカイロ国際実験演劇祭ベストセノグラフィー賞受賞。2007年、『桜の園』（作：A・チェーホフ）にて文化庁芸術祭新人賞受賞。著書に『おもしろければOKか？現代演劇考』（五柳書院）。<br />
今秋、新作『――ところでアルトーさん、』を京都・東京で上演予定。詳細は<a href="http://www.chiten.org/" target="_blank">地点web</a>にて。</span></p></blockquote>
<p>
<br />
<br />
</p>
]]></content:encoded>
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		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>【暑い夏10】講師インタビュー Vol. 21 エマニュエル・ユイン</title>
		<link>http://www.danceplusmag.com/c1/6858</link>
		<comments>http://www.danceplusmag.com/c1/6858#comments</comments>
		<pubDate>Fri, 13 Aug 2010 07:50:02 +0000</pubDate>
		<dc:creator>kogo</dc:creator>
				<category><![CDATA[interview]]></category>
		<category><![CDATA[古後奈緒子]]></category>
		<category><![CDATA[暑い夏10]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.danceplusmag.com/?p=6858</guid>
		<description><![CDATA[2001年の「クリエイターズミーティング」（高嶺格、野村誠らとの共同制作＠京都芸術センター）を皮切りに、モノクローム・サーカスとの『怪物』プロジェクト（2009年『踊りに行くぜ！！』他）、上演・映像と様々な版のある『A vida enorme』]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>
<p style="text-align: right;"><span style="font-size: x-small;"> 聞き手・インタビュー構成：古後奈緒子</span></p>
<br />
</p>
<blockquote><p>
<img src="http://www.danceplusmag.com/wp-content/uploads/2010/08/prof_emma2.gif" alt="prof_emma" title="prof_emma" width="80" height="80" class="alignleft size-full wp-image-6889" /><strong> EMMANUELLE HUYNH　エマニュエル・ユイン</strong>　(フランス/アンジェ)<br />
フランス・<a href="http://www.cndc.fr/"target="_blank">アンジェ国立現代舞踊センター(CNDC)</a>の芸術監督。造形作家や音楽家など異なった分野のアーティストとの共同作業を精力的に行うなど、鋭い批評的まなざしでダンスの再構築を進める彼女は、ドミニク・バグエ、トリシャ・ブラウンなど多くの著名な振付家の下で踊り、エルヴェ・ロブ、オディール・デュボックなどと共同作業を行う。&#8217;94年にはヴィラ・メディチ海外研究奨学金を得てヴェトナムで創作。ボルドー美術館、ヴェラスケス美術館、ベルサイユ宮殿などでのパフォーマンス企画も多数。&#8217;01年にはフランス政府派遣アーティストとしてヴィラ九条山に滞在。09年はモンペリエ・ダンスフェスティバルにて上演を行なう。</p></blockquote>
<p>
<br />
<br />
<hr /><p><b>アンジェと京都の間で見えるもの</b><br />
<hr /><p>
<br />
2001年の「クリエイターズミーティング」（高嶺格、野村誠らとの共同制作＠京都芸術センター）を皮切りに、モノクローム・サーカスとの『怪物』プロジェクト（2009年『踊りに行くぜ！！』他）、上演・映像と様々な版のある『A vida enorme』（2007年＜ビデオラマ＞＠ヴィラ九条山、2008年《暑い夏》オープニング公演）etc…と、ここ数年、日本各地で紹介されてきたエマニュエル・ユイン。<br />
<br />
何かしら問いを喚起し、もっと知ろうとする者には豊かなリンクを提供する。そんな良質の書物のような彼女の仕事に惹かれ、2007年に次いで2回目の《暑い夏》講師インタビューを試みました。ここでは彼女が拠点とするインスティテューション、<a href="http://www.cndc.fr/" target="_blank">アンジェ国立現代舞踊センター(CNDC)</a>のお話を中心にお届けします。（尚、今年の《暑い夏》で紹介された『Cribles』をめぐるお話は、8月刊行の「《京都の暑い夏》15周年記念ドキュメントブック」のほうに掲載されます）<br />
<br />
<div id="attachment_6860" class="wp-caption aligncenter" style="width: 309px"><img src="http://www.danceplusmag.com/wp-content/uploads/2010/08/IMGP2145_small_small.jpg" alt="撮影：津田英理子" title="IMGP2145_small_small" width="299" height="200" class="size-full wp-image-6860" /><p class="wp-caption-text">撮影：津田英理子</p></div><br />
<br />
<p><strong>＋</strong>　劇場が一般市民とどのように関係を結ぶかに興味を持っているのですが、アンジェ国立現代舞踊センター（以下、CNDC）では、どういった取り組みを行っていますか？　例えば、ノンダンサー向けのワークショップをされたりは？<br />
<br />
<strong>エマニュエル（以下、エマ）</strong>　私個人は、学校の先生達にワークショップを行っていて、受刑者たちにワークショップをしたことなどがあります。それから、これは私ではありませんが、CNCDは病院に出向いてもいますし、6才から18才までの学校に通う青少年たちとのワークショップを催しています。学校関係者がたくさん集まっていることになりますね。<br />
<br />
<strong>＋</strong>　あなたのインスティテューションは、地域のコミュニティと恊働している。<br />
<br />
<strong>エマ</strong>　当然の義務としてね。CNDCには5つの使命があるのですが、その一貫です。5つというのは、まずクリエイション。2つめは、空間や予算の面で他のアーティストとインスティテューションを分かち合うこと―例えば来季は室伏鴻が3人のダンサーと創作を行うんですよ―。さらにCNCDは学校でもある。それから、私たちが拠点とする建物内の<a href=" http://www.lequai-angers.eu/"target="_blank">EPCC LE QUAI</a>という劇場などで、毎月2回ダンスの公演をプログラムしています。5つ目が、「文化的作用／関心の喚起」（cultural action or sensibilization）と呼んでいるのですが、都市においてダンスに何ができるかといったことを実践している人々と、一緒に行っている活動です。<br />
　つまり、公衆に関わる活動はCNDCの使命、したがって私の職務の一部なのですが、もちろん個人としても関心を持って取り組んでいます。実際に、CNDCには「ダンスの社会事業」と呼ばれるアマチュアの人と関わる活動がかなりあります。いつもやるべきことが死ぬほどあって気が狂うかと思うけど（笑）、そのことを除けば、これらの使命は何ら特別なことではないわ。公のお金を得ているのだから、社会のために何かをするというのは当たり前のことでしょう。</p>
<br />
<div id="attachment_6862" class="wp-caption aligncenter" style="width: 309px"><img src="http://www.danceplusmag.com/wp-content/uploads/2010/08/IMGP2203small_small.jpg" alt="撮影：津田英理子" title="IMGP2203small_small" width="299" height="200" class="size-full wp-image-6862" /><p class="wp-caption-text">撮影：津田英理子</p></div><br />
<br />
<p><strong>＋</strong>　ボランティアで関わる人々はいますか？　《京都の暑い夏》や日本の芸術フェスティバルなどでは一般的ですが。<br />
<br />
<strong>エマ</strong>　いえ。働いているのはその道に秀でた人ばかりです。提供されるアクティヴィティに参加するのは、学生であれ教師であれ無料ですが、オーガナイズに関わる人々はみな有給です。小学校や中学校といった教育機関で、そこの教師が関わる場合でも、手当がつきます。</p>
<br />
<div id="attachment_6863" class="wp-caption aligncenter" style="width: 309px"><img src="http://www.danceplusmag.com/wp-content/uploads/2010/08/IMGP3211_small_small.jpg" alt="撮影：津田英理子" title="IMGP3211_small_small" width="299" height="200" class="size-full wp-image-6863" /><p class="wp-caption-text">撮影：津田英理子</p></div><br />
<br />
<p><strong>＋</strong>　そういった“素人”とのワークショップを通して、どのようなニーズや可能性を感じ取っていますか。<br />
<br />
<strong>エマ</strong>　考えるに、自己陶冶への欲求を持った人たちが、自分自身で何かをクリエイトするためのアイディアや道具を得ようと、芸術のワークショップを取っているんでしょうね。そういった人たちは、教えたり、学んだり、共有したりといったことに、とても熱心です。実際、情報や体験をいかに共有するかといった類いの問いは、多くの仕事に応用できるでしょうね。学校の教師や研究者、それにオフィスなどで他の人を使っている人だって、そこで振舞いを見つめ直す糧を得ることができる。例えば今回やった「円になる」のワークなんか、そこで力と役割がぐるぐると再分配されるわけですね。権力と可能性が誰の手にも等しく委ねられているのだから。まあ、これは『クリブル』という作品に属する一面なのだけれど。<br />
<br />
<strong>＋</strong>　そういったリサーチを、劇場の観客とも分かち合っていると？<br />
<br />
<strong>エマ</strong>　劇場公演では敷居は高くなりますね。ワークショップ参加者のほうは、本当に自分のこととして関わっているので。彼らにワークの中で何を感じ、気づき、理解したのか、訊ねないでいるほうが無理ですよ。とはいえ私たちは、一般に劇場に来る人々が、自分自身に関する問いを考えられるように試みています。アンジェでは、作品ごとに情報や扱う問題を公開し、彼らが何を見、自身にとっての問いは何なのかといったことを、自ら表現できるようにといったことも考えています。</p>
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<p style="text-align: right;"> （2010年5月7日＠京都芸術センター）</p>
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</p>
<blockquote><p><strong>古後奈緒子</strong>（こご・なおこ）<br />
「なんで君、いっつもいるの？」　「私の生活に必要だからでございます。」<br />
今年、とある講師に問われて咄嗟に答えはしたものの、《暑い夏》で個人的に気づかされた価値も、もうちょっとパブリックに回転させてゆきたいところ。知り合った皆々さま、今後もお知恵拝借、お願いいたします。ぺこり。<br />
</p></blockquote>
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<hr /><p>
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<strong>《関連リンク》</strong><br />
<br />
2007年講師インタビューvol.10　<a href=" http://www.log-osaka.jp/article/index.html?aid=297&#038;p=3<br />
"target="_blank">http://www.log-osaka.jp/article/index.html?aid=297&#038;p=3</a><br />
<br />
2007年＜ビデオラマ＞レポート　<a href=" http://www.log-osaka.jp/article/index.html?aid=298&#038;p=2<br />
"target="_blank">http://www.log-osaka.jp/article/index.html?aid=298&#038;p=2</a><br />
</p>
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